「元旦=元日の朝」説、あるいは日本語のトリビア化について

今回は、「元旦=元日の朝」説について。


きっかけは、ある Twitter アカウントの発言から。

元日の意味で元旦を使っている文を探すだけの簡単なお仕事

これを見て思った。

あぁ、この人は「元旦=元日の朝限定」だと思っているんだな、と。


この俗説は、昔からチラホラと耳にすることがあった。

もっとも、昔であればそういうネタは特に広がることもなく、大きな害もなかったところだ。

だが、インターネットはそういうものを際限なく増殖させる性質を持っている。

だから、そういう俗説に対しても、これまでのように流しているだけではまずいと思い、記事を書くことにした。


まず、「元旦」という単語の起源から。

この単語は、中国語から日本語に入ったものだ。

比較的古い*1用例としては、宋代の「夢粱錄/卷01」という文献に

正月朔日,謂之元旦,俗呼為新年。(正月のついたちは、元旦といい、俗に新年と呼ぶ)

というものがある。

ここに「朝」という要素は出てこない。


確かに、単漢字の「旦」には「朝」という意味はある。

だが、「元旦」という熟語は、その初期から「正月*2のついたち」という意味で使われていた。

そこには、「一年の始まるとき」を「朝」にたとえる意図があったのかもしれない。

または、「一年の初めの朝」という意味から「一年の初めの日」という意味に広がったのかもしれない。

いずれにせよ、ポイントは「熟語は全体として一つの意味を持つ」ということ。

そして、「元旦」の場合は、その全体としての意味は「正月のついたち」だ。


では、日本語に入ってから意味が変化したのか。

日本国語大辞典に示されている最古の用例は、「和爾雅〔1688〕二」の次のようなものだ。

元日〈略〉正日、正朝、正朔、元旦、正旦

同義語を並べていると思われる。

中には「正朝」というものもあるが、「元日」もある。

「正月のついたちの朝」という概念と、「正月のついたち」という概念は、あまり区別せずに使われてきたものだということが推測できる。


また、明治〜昭和前期の用例は、青空文庫をサイト内検索すると見られる*3

新春・日本の空を飛ぶ」という坂口安吾の文に次のようなものがある。

元旦正午、DC四型四発機は滑走路を走りだした。

どう見てもこれは「元日の朝」という意味ではない。


坂口安吾が間違っていた」と強弁することも可能だろうが、そもそも「元旦」という言葉は、中国で生まれてから日本に渡ってきて今に至るまでずっと、「元日」と同義語として使われてきたものだ。

坂口安吾が間違っていたとして、「元旦=元日の朝限定」を正しいとする根拠は何になるのか。

「旦」という字が「朝」という意味だから?

アホか。

そういう「字を見て意味を推測する」というのは、中国語で「望文生義」といい、厳に慎むところだ。


このような、漢字の表面をなぞった俗説は数多くある。

その中には、「『泊』と『晒』は昔どこかで誰かが取り違えたものだ」というものもある。

「泊」は水(さんずい)につけて白くするから「さらす」で、「晒」は日が西に傾くから「とまる」だそうだ。

ここまで荒唐無稽なら笑い話にもなるが、「元旦=元日の朝限定」というのはおかしくもなんともない。

こんな誤解が広まったら、「元日の朝」なんていう取り回しの悪い意味しか持たない(ことになる)「元旦」という言葉を使う人がいなくなって、しまいには日本語からこの単語が失われてしまうことになるだろう。


このネタについて調べていると、「「元日」と「元旦」の違いを知っていますか?」というページに行き当たった。

Wikipedia の何の出典もない部分を根拠に「元旦=元日の朝限定」としているのだが、このページ末尾の次のくだりが象徴的だ。

漢字の成り立ちの美しさを感じつつ正しい日本語を知るというのは良いことではないでしょうか:)

みんなもこの知識をひけらかして親戚をあっと言わせてやろうぜ!!

どうやら、このガセネタを広めている人たちは「正しい日本語」の知識を「ひけらかす」つもりらしい。


これまで取り上げてきた なぜ広まった? 「『訊く』が正しい」という迷信「恣意的」誤用説 も、間違った「日本語トリビア」の一種だ。

「学問に王道なし」という言葉があるが、日本語に関しても同じことがいえる。

教養を身につけるには、地道に本を読んで、「文脈」ごと取り入れなければならない。

そもそも、本を読んでいたら「たずねる=訊く」や「元旦=元日の朝」といった、簡単な等号で表されるようなデマにはひっかからないですむところだ。


ネット時代になって、「普通の日本語を普通に受け継ぐ」ということが難しくなった。

今の時代に求められる日本語力というのは、それらしい俗説や難しい表記を目にしたときに、簡単に影響されずに自分がそれまで見聞きしてきたものを信じる「芯の強さ」なんじゃないだろうか。

*1:最古の用例は「晋書」だそうだが、具体的な箇所が見つからなかった。

*2:当時はもちろん太陰暦

*3:最近、青空文庫の忠実性に疑義を呈するページがあったが、さすがに「元旦」がほかのものになるということはないだろう。