DeepL翻訳を修正するということ

ポール・グレアム "What I Worked On" の翻訳の補足記事です。


ポール・グレアムの長編エッセイ「私が取り組んだこと」を翻訳するにあたって、DeepLの翻訳結果をベースに編集しました。

この記事では、DeepLの誤訳箇所とその修正について書いてみます。


DeepLの翻訳と私の最終版の差分は、GitHubのdiff("Load diff"を押す必要があります)で見ることができます。

こうして見ると、かなり差分が少ないことがわかります。多くの修正は些細な変更ですし、手を加えなかった段落もあります。機械翻訳がここまで来ているというのはすごいことです。

それでも、元の翻訳では、いくつかの誤訳が重要なところを台無しにしてしまっています。ここでは、それらのポイントを見ていきます。


It seemed only a matter of time before we'd have Mike, and when I saw Winograd using SHRDLU, it seemed like that time would be a few years at most. All you had to do was teach SHRDLU more words.

マイクがいるのは時間の問題だと思っていたし、ウィノグラッドがSHRDLUを使っているのを見て、その時間はせいぜい数年だろうと思っていた。SHRDLUにもっと単語を教えればよかったのに。


"All you had to do was ..." というのは、どう翻訳するのがよいでしょうか? DeepLは、「SHRDLUにもっと単語を教えればよかったのに。」と訳しています。

これは素直な直訳です。例えば、テイラー・スウィフトの "All You Had to Do Was Stay" という曲がありますが、これを訳すとしたら、「去って行かないでくれたらそれでよかったのに」とでもなるでしょう。

しかし、ここでは違います。これは、過去の自分の視点で、"All you have to do is teach SHRDLU more words." と思っていた、ということです。

これを訳すと、「SHRDLUにもっとたくさん単語を教えればそれでいい」となります。文脈を考慮した翻訳は以下の通りです。

マイクを作れるようになるのは時間の問題だと思っていましたし、ウィノグラッドがSHRDLUを使っているのを見て、その時間はせいぜい数年だろうと思っていました。SHRDLUにもっとたくさん単語を教えるだけじゃないか、と。


I had gotten into a program at Cornell that didn't make you choose a major. You could take whatever classes you liked, and choose whatever you liked to put on your degree. I of course chose "Artificial Intelligence." When I got the actual physical diploma, I was dismayed to find that the quotes had been included, which made them read as scare-quotes. At the time this bothered me, but now it seems amusingly accurate, for reasons I was about to discover.

私はコーネル大学のプログラムに入っていたのですが、そのプログラムでは専攻を選択することはできませんでした。あなたは好きなクラスを何でも履修でき、学位を取得するために好きなものを何でも選ぶことができました。私はもちろん「人工知能」を選んだ 実際に物理的な卒業証書を手にした時引用符が含まれていたのを見つけて落胆したそれは恐怖の引用符のように読ませた 当時はこれが気になっていましたが、今では面白いほど正確に思えます。

日本語訳だけを見て状況がわかったでしょうか。わかったとしたら、あなたはかなり英文直訳から原文を推測する能力が高いのでしょう。私にはわかる自信がありません。

まず、"You could ... choose whatever you liked to put on your degree."のところですが、これは「学位記に何でも好きなことを書いてもらえた」ということです。好きなクラスを何でも履修できるので、例えば人工知能を主にやったのであれば、学位記に

学士 人工知能

のように書いてもらえるということですね。ここで作者は、"Artificial Intelligence" と書いて提出したのですが、発行された学位記には前後の引用符まで書かれてしまった、つまり、日本語で書くと、

学士「人工知能

のようになってしまった、ということです。こういうふうに書かれると、「いわゆる人工知能」「人工知能とかいうもの」というニュアンスのように見えますね。それで当時はそれが嫌だったが、今から考えると、まさに当時やっていたことは「いわゆる人工知能」だったと思えて面白い、という話です。以下の訳でこの状況が伝わっているでしょうか。

私はコーネル大学のプログラムに入っていたのですが、そのプログラムでは専攻を選択する必要はありませんでした。好きなクラスを何でも履修でき、学位につける名前も好きなものを何でも選ぶことができました。私はもちろん“人工知能”にしました。実際に物理的な卒業証書を手にしたとき、学位に引用符まで含まれてしまっていることに気づき、がっかりしました。それは皮肉の引用符のように見えたからです。当時は嫌な気持ちになっていましたが、今では面白いほど正確に思えます。それにはいくつかの理由があるのですが、当時の私ももうすぐそれらに気がつくことになります。


There were some surplus Xerox Dandelions floating around the computer lab at one point. Anyone who wanted one to play around with could have one.

コンピュータラボには、余ったゼロックスタンポポがいくつか浮かんでいた。欲しい人は誰でも持っていた。

まず、ここでの "Xerox Dandelion" はXerox_Daybreakシリーズの機械の名前です。そして、次の "Anyone who wanted one to play around with could have one." ですが、「誰でもそれで遊びたかったらひとつ持つ(have)ことができた」、つまり「もらうことができた」ということです。

コンピュータラボには、余ったゼロックスのDandelionがいくつか転がっていました。誰でも、欲しいと思えば自分のものにできました。


The idea of actually being able to make art, to put that verb before that noun, seemed almost miraculous.

名詞の前に動詞をつけて、実際にアートを作れるようになったことが奇跡的に思えたのです。

この日本語では意味がわかりませんね。"to put that verb before that noun" の指す動詞と名詞は、それぞれ "make" と "art" です。"art" の前に "make" を置く、つまり「芸術」を「作る」なんていうことは、当時の自分には奇跡のように思えた、ということです。

実際に「芸術」を「作る」ということ、その名詞にその動詞をつなげるということは、ほとんど奇跡のように思えました。


I got one at a company called Interleaf, which made software for creating documents. You mean like Microsoft Word? Exactly. That was how I learned that low end software tends to eat high end software.

就職したのはインターリーフという会社で、文書を作成するためのソフトを作っていました。Microsoft Wordのようなものですか?その通りです。ローエンドのソフトウェアは ハイエンドのソフトウェアを 食べる傾向があることを 学んだのです

"You mean like Microsoft Word?" は、著者が読者の疑問を先取りして書いたものです。日本語にすると、「Microsoft Wordのようなものかって?」でいいでしょう。しかし、ここで本当に難しいのは、話の流れです。「インターリーフでは文書作成ソフトを作っていたんだ」→「Wordみたいなものかって? そうだよ。」→「そういうわけで、ハイエンドのソフトはローエンドのソフトにやられるってわかったわけさ」という流れなのですが、「そういうわけ」というのはどういうわけでしょう? これは、Wordのことはみんな知っているが、インターリーフの文書作成ソフトのことは知らない、つまり、インターリーフの文書作成ソフトはWordによって滅ぼされてしまった、ということを読者に推論させています。これは原文が元々わかりにくいので、訳文をそれ以上にわかりやすくするわけにもいかず、次のような訳にしています。

就職したのはインターリーフという会社で、文書を作成するためのソフトを作っていました。Microsoft Wordのようなものかって? その通りです。ハイエンドのソフトウェアはローエンドのソフトウェアに市場を食われがちだということを学んだのは、そういうわけです。


A rent-controlled apartment in a building her mother owned in New York was becoming vacant. Did I want it? It wasn't much more than my current place, and New York was supposed to be where the artists were. So yes, I wanted it!

彼女の母親がニューヨークに所有していたビルの賃貸アパートが空室になりつつあったのです。私はそれが欲しかったのか?今住んでいる場所よりも大したことないし、ニューヨークはアーティストがいる場所だと思っていました。だから、はい、私はそれを望んでいました!

"Did I want it?" これは自由間接話法というやつです。それについて書くには紙面が足りないのですが、結論を言うと、これは作者が "Do you want it?" と聞かれたということです。そして、"So yes, I wanted it!" は、"yes" 以降だけが自由間接話法で、「そういうわけで、"Yes, I want it!" と答えた」ということです。自由間接話法というだけあって自由ですね。(以下の訳文では、"So" の部分は訳していません)

お母さんがニューヨークに持ってるレントコントロールのアパートが空くんだけど、住まない? と。家賃は今の場所よりそんなに高くないし、ニューヨークといえばアーティストがいる場所のはずです。住みたい! と私は答えました。


The thought suddenly occurred to me: why don't I become rich? Then I'll be able to work on whatever I want.

その時、ふと思いついたのです。そうすれば、好きなことに取り組めるだろう。

DeepLが肝心なところ("why don't I become rich?")を完全にすっ飛ばしています。機械翻訳はこういうことがあるから油断できません。

そのとき、ふと思いついたのです。自分が金持ちになってみてもいいんじゃないか? そうすれば、何でも好きなことに取り組めるはずだ。


To call this a difficult sale would be an understatement. It was difficult to give away.

これを難しい販売と呼ぶには、控えめな表現になるでしょう。譲るのが難しかったのです。

完璧な直訳ですね。どこにも間違ったところはありません。しかし、翻訳というのは、直訳だと意図が伝わらない、不可避的に意訳をしなければいけない、ということがあるのです。これがまさにそういう例です。ここでの「譲るのが難しかった」は、日本語では、「ただで渡すことすら難しかった」というように「売ること」との対比をはっきり書く必要があります。

難しいなんてものじゃありませんでした。ただでも要らないと言われるのです。


It may look clunky today, but in 1996 it was the last word in slick.

今日では不器用に見えるかもしれませんが、1996年には、それはスリックの最後の言葉だったのです

"the last word in ..." とは何でしょうか。私も知らなかったのですが、調べてみると、the best or most modern example of something(最高の、または最新のもの)とのことです。これまでのところ、機械翻訳は慣用表現がずっと苦手なままです。こういった慣用表現は頻度は低いのですが、ネイティブの脳内にはしっかりと根を下ろしています。人間の脳には慣用表現を特別扱いする機構があって、機械翻訳はそれを再現できていないということかもしれません。

今日では不格好に見えるかもしれませんが、1996年には、それは最高にかっこよかったのです


Except for a few officially anointed thinkers who went to the right parties in New York, the only people allowed to publish essays were specialists writing about their specialties.

ニューヨークの右派に行った一部の公認の思想家を除けば、エッセイの出版が許されていたのは、自分の専門分野について書いている専門家だけだった。

この "right parties" ですが、用例から訳文を作り上げる機械翻訳が「右派」と翻訳してしまうのは理解できます。でも、ここでの "right" は「正しい」という意味で、"parties" は文字通りの「パーティー」です。"who went to the right parties in New York" は、直訳すると、「ニューヨークの行くべきパーティーに行っていた人たち」ということになります。さて、「行くべきパーティー」というのは何でしょうか? これは、「名士が行くようなパーティー」ということです。つまり、"anointed thinkers" の社会的地位の高さを言いたいだけで、パーティー云々は本質ではありません。翻訳では言い換えてもいいところですが、私の翻訳では言葉を補ったうえで訳出しています。

ニューヨークの有名人が集まるパーティーに列席するような誰もが認める一部の思想家を除けば、エッセイの出版が許されていたのは、自分の専門分野について書いている専門家だけでした。


That went right by 99% of readers, but professional investors are thinking "Wow, that means they got all the returns."

それは99%の読者には受け入れられましたが、プロの投資家は "うわー、それは彼らがすべてのリターンを得たことを意味する "と考えています。

"That went right by 99% of readers" とは何でしょうか? "go right by ..." というのは「…のそばを通り過ぎる」という意味なので、「99%の読者のそばを通り過ぎた」、つまり、「99%の読者は何気なく読み飛ばした」という意味になります。

99%の読者はここの部分を何気なく読み飛ばしたでしょうが、プロの投資家は「おー、つまりすべてのリターンを得られるってことか」と考えているはずです。


I was haunted by something Kevin Hale once said about companies: "No one works harder than the boss." He meant it both descriptively and prescriptively, and it was the second part that scared me.

かつてケビン・ヘイルが企業について言っていた言葉が心に残っています。"ボスよりも一生懸命働く人はいない "と。彼はそれを描写的にも規定的にも意味していて、私を怖がらせたのは2番目の部分でした。

「描写的」「規定的」とは何でしょうか。前者は、「ボスよりも一生懸命働く人は普通はいないものだ」という事実の描写で、後者は「ボスは誰よりも一生懸命働かなければならない」という、こうあるべきという主張です。

このように「描写的」「規定的」という言葉を使う習慣は日本語にはあまりないので、全体的に言い換えないと意味が伝わりにくくなります。もっとも、こういう直訳が日本語を拡張していくという可能性もありますが。

かつてケビン・ヘイルが企業について言っていた、「ボスよりも一生懸命働く人はいない」という言葉が脳裏から離れませんでした。彼はこの言葉を「ボスは誰よりも一生懸命働いている」と「ボスは誰よりも一生懸命働くべきだ」という両方の意味で使っていて、私が恐れたのは後者でした。


この他にも無数に修正箇所はあるのですが、このぐらいにしておきます。

読んでみていかがだったでしょうか。機械翻訳はまだまだだ、と思われたでしょうか。

私としては、DeepLは難しいところをことごとく外している、と同時に、難しくないところはほぼできている、と感じました。論文やニュースなどでのDeepLの有用さは、皆が認めるところです。それらの分野でのDeepLの有用さ、そしてエッセイなどでのDeepLの弱さを見るにつれ、言語の持つバリエーションの大きさを思い知らされる思いです。

機械翻訳が文芸翻訳をこなせるようになる日は果たして来るのか。これまでの長足の進歩を見ると期待したくなるところですが、未来は常に未知数です。

この記事を読んで英文解釈に興味を持った人のために、北村一真氏の英文解釈関連書籍を挙げておきます。

英語の読み方 ニュース、SNSから小説まで

英文解体新書: 構造と論理を読み解く英文解釈

英文解体新書 2: シャーロック・ホームズから始める英文解釈