22年共通テストフランス語の疑問点
共通テストが終わりましたね。
というわけで、フランス語を解いてみました。
結果は182点。
ちょっと落としすぎです。
試験本番なら見直しをするので、もう少しマシだったかもしれません(言い訳)。
さて、ここからが本題です。
問5を見てください。
下線部の発音が他の三つと違うものを選ぶ問題です。
それぞれの下線部分前後の発音は次のようになります。
① /bjɛ̃.n‿el.ve/
② /mi.sjɔ̃ ɛ̃.pɔʁ.tɑ̃.t/
③ /ʒ‿ɑ̃.n‿e/
④ /ɑ̃ plɛ.n‿ɛʁ/
正解として示されているものは②です。
確かに、リエゾンによる/n/が生じているかどうかという視点では、リエゾンのない②が仲間外れとなります。
しかし、私は④の"en plein air"を見て、とっさにこれを選んでしまいました。
というのは、これだけ前の母音を鼻音化していないからです。
該当部分の母音をそれぞれ抜き出すと、以下のようになります。
① /ɛ̃/
② /ɔ̃/
③ /ɑ̃/
④ /ɛ/
おわかりでしょうか。
母音の上にある~のようなものが鼻音化の記号です。
この視点で見ると、④を選ぶのも間違いではないのではないか… と思ったのですが、どうでしょうね。
まあ、共通テストの英語以外の外国語なんて選ぶ人はほとんどいないでしょうし、誰も気にしないことかもしれませんが、たまたまやってみたところ気になったので記事にしてみました。
まともな簡体字・繁体字変換
まともな簡体字・繁体字変換(以下、簡繁変換)を作りました。*1
なぜ、 まともと言うのか?
それは、簡繁変換というのは一対多変換であって、それを正しくできていない(しようともしていない)変換というのはまともではないからです。
まともでない簡繁変換
例えば、日本語にもある単語で例を挙げると、「乾燥」「幹部」「干涉」というものがあります。
簡体字では「乾」「幹」は「干」になるので、これらは「干燥」「干部」「干涉」と書かれます。
これらを繁体字に変換すると、「乾燥」「幹部」「干涉」に戻ってほしいところです。
それが、「簡体字 繁体字 変換」と検索して上位に出てくるサイトでこれらを変換しても、だいたいうまくいきません。
あるサイトでは、「幹燥」「幹部」「幹涉」となります。「干→幹」という単純な置き換えしかしていないということです。
また、別のサイトでは「乾/幹/榦燥」「乾/幹/榦部」「乾/幹/榦涉」となります。簡体字に対応する繁体字が複数ありうるということまでは認識しつつ、正しいものを選ぶ技術はないということです。*2
サイトによっては、「乾燥」「幹部」「干涉」と正しく変換されます。ただし、このようなサイトでも、例えば中国語の「能(できる)」を前につけて変換すると、「能干燥」が「能幹燥」になってしまいます。これは、中国語に「能幹」という単語があって、それが先にマッチしてしまっているからです。
こういう誤変換に対応するために、 中国語のWikipediaでは2万行以上あるリストをメンテナンスしています。
「面包」は「麵包」、一方で「面包括」なら「面包括」そのまま…。
こんなルールが数限りなくあるわけです。
できれば、こんなものを手で触ったりはしたくないところです。
まともな簡繁変換
ここで開発したのが、最初に紹介した簡繁変換です。
このページでは、例えば「能干燥」も「能乾燥」と正しく変換できます。
技術
この簡繁変換は、N-gramをベースにしています。
N-gram自体は一般的な技術なので、ここでの説明は省略します。
変換部分は、ずっと昔に記事を書いた可変次数N-gramデコードを使っています。
ソースはhttps://github.com/hiroshi-manabe/jfconv-scriptsで公開しています。
デコード部分のアルゴリズムは、KenLMというN-gramライブラリの状態(State)を使うことでかなりシンプルになっています。
処理時には、例えば「干面」という入力であればそれを「[乾|干|幹|榦] [面|麵]」という形に変換し、それをN-gramデコードが受け取って、最もそれらしい並びを選ぶ、という形になっています。
データ
私が使ったのは、簡体字はhttps://github.com/brightmart/nlp_chinese_corpusで紹介されている百科問答(Q&Aサイト)、繁体字は台湾のいろいろな小説サイトからクローリングしたものです。
背景
「なぜまともな簡繁変換が少ないのか」という疑問を持つ人がいるかもしれません。
これは、簡繁変換というのが、「あまり必要がないタスク」だからです。
簡体字圏の人はだいたい繁体字が読めますし、その逆もまたそうです。
もちろん、自分の慣れた文字のほうが読みやすいので簡繁変換というものがあるのですが、人間の脳は適応能力が高いので、多少変換が間違っていても補完して読むことができます。
そういう意味では、簡繁変換というのは、メジャーな自然言語処理タスク(翻訳、音声認識、音声合成等)と違って、真面目にやる動機に乏しいタスクなのです。
そういうわけで、大資本が真面目に取り組むということがないので、個人で頑張れば比較的いいものが作れるということになります。
といっても、「あまり必要がないタスク」であることに変わりはないので、自己満足のようなものですが。
DeepL翻訳を修正するということ
ポール・グレアム "What I Worked On" の翻訳の補足記事です。
ポール・グレアムの長編エッセイ「私が取り組んだこと」を翻訳するにあたって、DeepLの翻訳結果をベースに編集しました。
この記事では、DeepLの誤訳箇所とその修正について書いてみます。
DeepLの翻訳と私の最終版の差分は、GitHubのdiff("Load diff"を押す必要があります)で見ることができます。
こうして見ると、かなり差分が少ないことがわかります。多くの修正は些細な変更ですし、手を加えなかった段落もあります。機械翻訳がここまで来ているというのはすごいことです。
それでも、元の翻訳では、いくつかの誤訳が重要なところを台無しにしてしまっています。ここでは、それらのポイントを見ていきます。
It seemed only a matter of time before we'd have Mike, and when I saw Winograd using SHRDLU, it seemed like that time would be a few years at most. All you had to do was teach SHRDLU more words.
マイクがいるのは時間の問題だと思っていたし、ウィノグラッドがSHRDLUを使っているのを見て、その時間はせいぜい数年だろうと思っていた。SHRDLUにもっと単語を教えればよかったのに。
"All you had to do was ..." というのは、どう翻訳するのがよいでしょうか? DeepLは、「SHRDLUにもっと単語を教えればよかったのに。」と訳しています。
これは素直な直訳です。例えば、テイラー・スウィフトの "All You Had to Do Was Stay" という曲がありますが、これを訳すとしたら、「去って行かないでくれたらそれでよかったのに」とでもなるでしょう。
しかし、ここでは違います。これは、過去の自分の視点で、"All you have to do is teach SHRDLU more words." と思っていた、ということです。
これを訳すと、「SHRDLUにもっとたくさん単語を教えればそれでいい」となります。文脈を考慮した翻訳は以下の通りです。
マイクを作れるようになるのは時間の問題だと思っていましたし、ウィノグラッドがSHRDLUを使っているのを見て、その時間はせいぜい数年だろうと思っていました。SHRDLUにもっとたくさん単語を教えるだけじゃないか、と。
I had gotten into a program at Cornell that didn't make you choose a major. You could take whatever classes you liked, and choose whatever you liked to put on your degree. I of course chose "Artificial Intelligence." When I got the actual physical diploma, I was dismayed to find that the quotes had been included, which made them read as scare-quotes. At the time this bothered me, but now it seems amusingly accurate, for reasons I was about to discover.
私はコーネル大学のプログラムに入っていたのですが、そのプログラムでは専攻を選択することはできませんでした。あなたは好きなクラスを何でも履修でき、学位を取得するために好きなものを何でも選ぶことができました。私はもちろん「人工知能」を選んだ 実際に物理的な卒業証書を手にした時引用符が含まれていたのを見つけて落胆したそれは恐怖の引用符のように読ませた 当時はこれが気になっていましたが、今では面白いほど正確に思えます。
日本語訳だけを見て状況がわかったでしょうか。わかったとしたら、あなたはかなり英文直訳から原文を推測する能力が高いのでしょう。私にはわかる自信がありません。
まず、"You could ... choose whatever you liked to put on your degree."のところですが、これは「学位記に何でも好きなことを書いてもらえた」ということです。好きなクラスを何でも履修できるので、例えば人工知能を主にやったのであれば、学位記に
学士 人工知能
のように書いてもらえるということですね。ここで作者は、"Artificial Intelligence" と書いて提出したのですが、発行された学位記には前後の引用符まで書かれてしまった、つまり、日本語で書くと、
学士「人工知能」
のようになってしまった、ということです。こういうふうに書かれると、「いわゆる人工知能」「人工知能とかいうもの」というニュアンスのように見えますね。それで当時はそれが嫌だったが、今から考えると、まさに当時やっていたことは「いわゆる人工知能」だったと思えて面白い、という話です。以下の訳でこの状況が伝わっているでしょうか。
私はコーネル大学のプログラムに入っていたのですが、そのプログラムでは専攻を選択する必要はありませんでした。好きなクラスを何でも履修でき、学位につける名前も好きなものを何でも選ぶことができました。私はもちろん“人工知能”にしました。実際に物理的な卒業証書を手にしたとき、学位に引用符まで含まれてしまっていることに気づき、がっかりしました。それは皮肉の引用符のように見えたからです。当時は嫌な気持ちになっていましたが、今では面白いほど正確に思えます。それにはいくつかの理由があるのですが、当時の私ももうすぐそれらに気がつくことになります。
There were some surplus Xerox Dandelions floating around the computer lab at one point. Anyone who wanted one to play around with could have one.
まず、ここでの "Xerox Dandelion" はXerox_Daybreakシリーズの機械の名前です。そして、次の "Anyone who wanted one to play around with could have one." ですが、「誰でもそれで遊びたかったらひとつ持つ(have)ことができた」、つまり「もらうことができた」ということです。
コンピュータラボには、余ったゼロックスのDandelionがいくつか転がっていました。誰でも、欲しいと思えば自分のものにできました。
The idea of actually being able to make art, to put that verb before that noun, seemed almost miraculous.
名詞の前に動詞をつけて、実際にアートを作れるようになったことが奇跡的に思えたのです。
この日本語では意味がわかりませんね。"to put that verb before that noun" の指す動詞と名詞は、それぞれ "make" と "art" です。"art" の前に "make" を置く、つまり「芸術」を「作る」なんていうことは、当時の自分には奇跡のように思えた、ということです。
実際に「芸術」を「作る」ということ、その名詞にその動詞をつなげるということは、ほとんど奇跡のように思えました。
I got one at a company called Interleaf, which made software for creating documents. You mean like Microsoft Word? Exactly. That was how I learned that low end software tends to eat high end software.
就職したのはインターリーフという会社で、文書を作成するためのソフトを作っていました。Microsoft Wordのようなものですか?その通りです。ローエンドのソフトウェアは ハイエンドのソフトウェアを 食べる傾向があることを 学んだのです
"You mean like Microsoft Word?" は、著者が読者の疑問を先取りして書いたものです。日本語にすると、「Microsoft Wordのようなものかって?」でいいでしょう。しかし、ここで本当に難しいのは、話の流れです。「インターリーフでは文書作成ソフトを作っていたんだ」→「Wordみたいなものかって? そうだよ。」→「そういうわけで、ハイエンドのソフトはローエンドのソフトにやられるってわかったわけさ」という流れなのですが、「そういうわけ」というのはどういうわけでしょう? これは、Wordのことはみんな知っているが、インターリーフの文書作成ソフトのことは知らない、つまり、インターリーフの文書作成ソフトはWordによって滅ぼされてしまった、ということを読者に推論させています。これは原文が元々わかりにくいので、訳文をそれ以上にわかりやすくするわけにもいかず、次のような訳にしています。
就職したのはインターリーフという会社で、文書を作成するためのソフトを作っていました。Microsoft Wordのようなものかって? その通りです。ハイエンドのソフトウェアはローエンドのソフトウェアに市場を食われがちだということを学んだのは、そういうわけです。
A rent-controlled apartment in a building her mother owned in New York was becoming vacant. Did I want it? It wasn't much more than my current place, and New York was supposed to be where the artists were. So yes, I wanted it!
彼女の母親がニューヨークに所有していたビルの賃貸アパートが空室になりつつあったのです。私はそれが欲しかったのか?今住んでいる場所よりも大したことないし、ニューヨークはアーティストがいる場所だと思っていました。だから、はい、私はそれを望んでいました!
"Did I want it?" これは自由間接話法というやつです。それについて書くには紙面が足りないのですが、結論を言うと、これは作者が "Do you want it?" と聞かれたということです。そして、"So yes, I wanted it!" は、"yes" 以降だけが自由間接話法で、「そういうわけで、"Yes, I want it!" と答えた」ということです。自由間接話法というだけあって自由ですね。(以下の訳文では、"So" の部分は訳していません)
お母さんがニューヨークに持ってるレントコントロールのアパートが空くんだけど、住まない? と。家賃は今の場所よりそんなに高くないし、ニューヨークといえばアーティストがいる場所のはずです。住みたい! と私は答えました。
The thought suddenly occurred to me: why don't I become rich? Then I'll be able to work on whatever I want.
その時、ふと思いついたのです。そうすれば、好きなことに取り組めるだろう。
DeepLが肝心なところ("why don't I become rich?")を完全にすっ飛ばしています。機械翻訳はこういうことがあるから油断できません。
そのとき、ふと思いついたのです。自分が金持ちになってみてもいいんじゃないか? そうすれば、何でも好きなことに取り組めるはずだ。
To call this a difficult sale would be an understatement. It was difficult to give away.
これを難しい販売と呼ぶには、控えめな表現になるでしょう。譲るのが難しかったのです。
完璧な直訳ですね。どこにも間違ったところはありません。しかし、翻訳というのは、直訳だと意図が伝わらない、不可避的に意訳をしなければいけない、ということがあるのです。これがまさにそういう例です。ここでの「譲るのが難しかった」は、日本語では、「ただで渡すことすら難しかった」というように「売ること」との対比をはっきり書く必要があります。
難しいなんてものじゃありませんでした。ただでも要らないと言われるのです。
It may look clunky today, but in 1996 it was the last word in slick.
今日では不器用に見えるかもしれませんが、1996年には、それはスリックの最後の言葉だったのです
"the last word in ..." とは何でしょうか。私も知らなかったのですが、調べてみると、the best or most modern example of something(最高の、または最新のもの)とのことです。これまでのところ、機械翻訳は慣用表現がずっと苦手なままです。こういった慣用表現は頻度は低いのですが、ネイティブの脳内にはしっかりと根を下ろしています。人間の脳には慣用表現を特別扱いする機構があって、機械翻訳はそれを再現できていないということかもしれません。
今日では不格好に見えるかもしれませんが、1996年には、それは最高にかっこよかったのです
Except for a few officially anointed thinkers who went to the right parties in New York, the only people allowed to publish essays were specialists writing about their specialties.
ニューヨークの右派に行った一部の公認の思想家を除けば、エッセイの出版が許されていたのは、自分の専門分野について書いている専門家だけだった。
この "right parties" ですが、用例から訳文を作り上げる機械翻訳が「右派」と翻訳してしまうのは理解できます。でも、ここでの "right" は「正しい」という意味で、"parties" は文字通りの「パーティー」です。"who went to the right parties in New York" は、直訳すると、「ニューヨークの行くべきパーティーに行っていた人たち」ということになります。さて、「行くべきパーティー」というのは何でしょうか? これは、「名士が行くようなパーティー」ということです。つまり、"anointed thinkers" の社会的地位の高さを言いたいだけで、パーティー云々は本質ではありません。翻訳では言い換えてもいいところですが、私の翻訳では言葉を補ったうえで訳出しています。
ニューヨークの有名人が集まるパーティーに列席するような誰もが認める一部の思想家を除けば、エッセイの出版が許されていたのは、自分の専門分野について書いている専門家だけでした。
That went right by 99% of readers, but professional investors are thinking "Wow, that means they got all the returns."
それは99%の読者には受け入れられましたが、プロの投資家は "うわー、それは彼らがすべてのリターンを得たことを意味する "と考えています。
"That went right by 99% of readers" とは何でしょうか? "go right by ..." というのは「…のそばを通り過ぎる」という意味なので、「99%の読者のそばを通り過ぎた」、つまり、「99%の読者は何気なく読み飛ばした」という意味になります。
99%の読者はここの部分を何気なく読み飛ばしたでしょうが、プロの投資家は「おー、つまりすべてのリターンを得られるってことか」と考えているはずです。
I was haunted by something Kevin Hale once said about companies: "No one works harder than the boss." He meant it both descriptively and prescriptively, and it was the second part that scared me.
かつてケビン・ヘイルが企業について言っていた言葉が心に残っています。"ボスよりも一生懸命働く人はいない "と。彼はそれを描写的にも規定的にも意味していて、私を怖がらせたのは2番目の部分でした。
「描写的」「規定的」とは何でしょうか。前者は、「ボスよりも一生懸命働く人は普通はいないものだ」という事実の描写で、後者は「ボスは誰よりも一生懸命働かなければならない」という、こうあるべきという主張です。
このように「描写的」「規定的」という言葉を使う習慣は日本語にはあまりないので、全体的に言い換えないと意味が伝わりにくくなります。もっとも、こういう直訳が日本語を拡張していくという可能性もありますが。
かつてケビン・ヘイルが企業について言っていた、「ボスよりも一生懸命働く人はいない」という言葉が脳裏から離れませんでした。彼はこの言葉を「ボスは誰よりも一生懸命働いている」と「ボスは誰よりも一生懸命働くべきだ」という両方の意味で使っていて、私が恐れたのは後者でした。
この他にも無数に修正箇所はあるのですが、このぐらいにしておきます。
読んでみていかがだったでしょうか。機械翻訳はまだまだだ、と思われたでしょうか。
私としては、DeepLは難しいところをことごとく外している、と同時に、難しくないところはほぼできている、と感じました。論文やニュースなどでのDeepLの有用さは、皆が認めるところです。それらの分野でのDeepLの有用さ、そしてエッセイなどでのDeepLの弱さを見るにつれ、言語の持つバリエーションの大きさを思い知らされる思いです。
機械翻訳が文芸翻訳をこなせるようになる日は果たして来るのか。これまでの長足の進歩を見ると期待したくなるところですが、未来は常に未知数です。
この記事を読んで英文解釈に興味を持った人のために、北村一真氏の英文解釈関連書籍を挙げておきます。
ポール・グレアム "What I Worked On" の翻訳
ポール・グレアムの長編エッセイ、"What I Worked On"を翻訳しました。
これはポールの生涯の振り返りという趣のエッセイで、彼のエッセイの中でも特に長いものとなっています。
次のツイートを見て翻訳する気になったのですが、異様に時間がかかってしまいました。
ポール・グレアムの新作、長すぎて辛いから誰か翻訳しといてhttps://t.co/ULqWOYCWJL
— コンポーネントにマージンを持つのをやめろ (@mizchi) 2021年2月25日
こんなに長い文章を翻訳する以上、普通に翻訳するのではなく、何か変わったことをやってみようと思って、機械翻訳(DeepL)の結果を編集するという形でやってみることにしました。
次のようなツイートもその動機になっています。
機械翻訳でもポストエディットをかませれば最終的には同じことができるじゃないかと言われそうだけど、人間の一次翻訳者からのリライトにしろ、機械翻訳のポストエディットにしろ、気を付けていても最初の訳文の言葉選びに引きずられるんですよ。正直、自分で初めからやったほうが楽。
— 福嶋 美絵子(はらぺこ翻訳者) (@Eugene_Roserie) 2021年5月17日
実際やってみて、「正直、自分で初めからやったほうが楽」という気持ちはわかりました。微妙な不自然さ、ちょっとした間違い、ひどい間違い、訳抜けなど、いろいろなパターンの修正箇所があり、また機械翻訳文に引きずられてしまうという意味でもあまり精神衛生上よくありません。機械翻訳の使い方としては、自分で一から翻訳しつつ、横に置いておいて迷ったときに見るぐらいがちょうどいいのかもしれません。
ただ、今回は実験という意味も込めて、あえてできるだけ原文を生かす方向でやってみました。主な修正箇所を別記事にまとめています。英文解釈に興味のある人は読んでみてください。
なぜワクチン接種がひどいことになっているか、そしてその対策
日本のワクチン接種がひどい状況だ。
そもそも、電話で予約して早い者勝ちで接種権を獲得するなんていうのが頭がおかしい。
これがコンサートとかの予約ならまだわかる。
コンサートとかの場合、需要と供給で決まる自然な(高い)価格があり、そしてその自然な価格で売りたくない(ぼったくりと言われたくない)売り手がいる。そして、転売屋が安い価格でチケットを買い占め、ヘイト代として利益を稼ぎ、自然な(高い)価格で転売することになる。
非効率的ではあっても、そうするだけの理由があるわけだ。
しかし、ワクチン接種というのは集団免疫獲得のためにやるんだから、遅かれ早かれほぼ全員に行き渡らせることになる。
ほぼ全員に行き渡らせるものを、なぜコンサートチケットのように扱っているのか?
そこには、「責められ」の回避をどこまでも追求する現代日本人の心性が関わっている。
「責められ」とは?
「責められ」というのは、ツイッターで流行っている文法で、動詞の連用形をそのまま名詞にするというものだ。
「怒られが発生した」というのを目にしたことがある人は多いだろう。
「責められ」とは、つまり非難されることだ。
「責められ」の回避とワクチン
原因はともかく、現代日本人はこの「責められ」を回避するために生きるようになっていきつつある。
なぜそうなっているかについての考察は後に回して、それがワクチン接種とどう関わっているかを先に書く。
(以降、「責められ」を回避するためだけに生きている人間を「新人」、そうでない旧来の人間を「旧人」とする)
なぜ現状のように、早い者勝ちのやり方が蔓延しているのか?
それは、そこに選択の責任がないからだ。
例えば、100万人いる県にまず1000回分のワクチンを先行配布して、その実績から全員に接種する場合の見積もりをしようと考えたとする。
その場合、「旧人」の発想としては、適当なモデル地区を選んで接種を実行する、ということになるだろう。
それが、テストとしての先行配布という趣旨に合うものだからだ。
しかし、「新人」の発想では、その趣旨というのはどうでもいい。
モデル地区を選ぶということは、そこを優先するということになってしまい、その不公平性に対して「責められ」が発生する可能性があるからだ。
ここで、実際に「責められ」が発生する可能性がどれだけ高いかはあまり重要ではない。
「新人」にとっては、「責められ」=死なので、それの可能性が0.01%でもあれば十分に避ける理由になる。
早い者勝ちということにすれば、一応、平等な機会を用意したという申し訳が立つ。
その結果、ワクチン接種がスムーズに行かなくて、日本のコロナ死者が何十万人になろうと、自分の命(「責められ」の回避)に比べたら大した問題ではない。
このあたりは「旧人」には感覚的にわかりにくいところだろう。
答え合わせ
この記事を書き始めたのは、河野大臣の談話を読む前だった。
さて、この談話を見てみると、まさにこの考察通りの成り行きになっているようだ。
「旧人」の河野大臣は、次のように書いている。
住民と直接接している自治体は、公平性とか平等性を思いのほか強調せざるを得ませんでした。(中略)自治体が平等性にこだわるというところを、私が見損ねた分があって、色んな所にご迷惑をおかけしています。
「平等性にこだわる」というのは、「責任を取りたがらない」の婉曲表現だ。
まさに、この記事で書いたようなことが起こっているわけだ。
対策
では、どうすればいいか?
河野大臣がすべての責任を負うということを明確にしていくしかない。
例えば、志布志市(ネットで有名なので適当に例に挙げた)の接種をどういう順番で進めていくかなんて、本来であれば大臣の関わることではない。
しかし、現場を担当する人間の多くは「新人」なので、そういう「旧人」の常識ではうまくいかない。
接種の順番は、有明町伊崎田、その次は有明町野井倉という順番でやります、ということについて、大臣が直接責任を取る必要がある。
マイクロマネジメントという言葉があるが、この場合はマイクロ責任取りとでも言えるだろうか。
そうすると、現場の「新人」も、安心して機械的に作業ができることになる。
順番については、例えば郵便番号順といった指針を示すのもいいだろう。
(上で挙げた例も郵便番号順だ)
それがどれだけ望ましいかはともかく、現場の「新人」に任せると、全部の接種を早い者勝ちにした挙げ句、「平等性を重視したうえで最善を尽くしましたが間に合いませんでした。ワクチンは大量廃棄することになって日本人が大量に死にましたが、最善を尽くしたのでしょうがないですよね?(責めないでくださいね?)」ということになってしまう。
それよりはどんな順番だってマシだ。
ところで、河野大臣は次のようにも言っている。
数が限られてるため、接種券を一度に出さずに、例えば、100歳以上とか95歳以上とか、あるいはこの地域とか限定をして、接種券を配ってくださいということを、私がもうちょっと強く言えば良かったと思います。
強く言うというのは、要するに「責め」だ。
それでは「新人」のヘイトを買うことになるだろう。
過渡期ゆえの問題
なぜ今回のような事態になってしまったか。
それは、「旧人」の河野大臣が、「新人」の現場職員の思考回路を予測できなかったことにある。
現在は、「旧人」と「新人」が混在する過渡期にある。
過渡期が過ぎて、ほぼ全員が「新人」だったらどうなっていたか?
その場合、皆が「責められ」=「精神の死」を回避することが最優先で、その次の課題として「肉体の死」の回避があるということについてコンセンサスがあるので、第一に責任回避体制が確立されるところだろう。
接種順であれば、いろいろな順番の案を作り、それを国民投票にでもかければいい。
(その世界では、国民投票も今よりずっとカジュアルになっているだろう)
国民の合意という錦の御旗があれば、それに対して「責め」を負うのは国民全員、つまり無責任化されることになる。
旧人が多く残る現状では、新人は「責められ」の回避が最優先だということを堂々と主張できない。
しかし、行動としてはそれに従う。
ということで、今回のような見込み違いが発生することになる。
新人の発生原因
ワクチン接種をどう進めればいいかについての話は前段までで終わりだが、ここからは「なぜ新人が発生したか」について考察してみる。
そもそも、旧人にとっての「責め」とは何であったか。
それは、評判システムに関わっている。
人間は、法律ができるはるか昔から、日常的に倫理を運用してきた。
獲物を独り占めにしないでみんなで分け合わないといけない、等々。
さて、司法という強制力なしに、人間はどうやってその倫理を運用してきたのだろうか?
そこには、「個人は狭い共同体を離れては生きられない」という条件があった。
数十人からなる共同体の中で、「あいつは獲物を独り占めした」「あいつは卑怯なやつだ」という評判が立ったら、共同体のメンバーから白い目で見られることになる。
もし、最終手段として共同体から追放されることになったら、どれだけ狩りの腕が優れていたとしても、生きていけない。何よりも、生殖できない。
そういうわけで、倫理というものは強い強制力を持ってきた。
その状況は、法律ができても、産業革命が起こっても、飛行機が飛んでも、基本的には変わってこなかった。
人口の大部分は狭い共同体の中で生きていて、その中での評判は人生を左右するものだった。
例えば、ふしだらな女性は、まともな相手と結婚することはできなかった、というように。
その状況が、ここに来てついに壊れることになった。
今では、お金さえあれば人間は一人でも生きていける。
生殖についても、誰も自分の評判を知らないマッチングアプリで自由に活動できる。
「責め」というのは、評判システムの中では、「お前はこういう悪いことをした、だから評判を下げる」という準司法的な働きをしていた。
評判システムは実効性を持って運用されていたので、その中の「責め」は避けがたいものであり、それを受けた人間は嫌でも従うしかなかった。
さて、「評判システム」が壊れた現代に生きる「新人」にとって、「責め」とは何か。
「責め」がシステム上の機能を失ったいま、それはただの理不尽な攻撃に過ぎない。
それを受けるということは「精神の死」であり、それを避けることは何よりも優先すべきことになった。
(余談だが、これは野党不振とも関わっているんじゃないかと思っている。旧人にとっては、例えば嘘をつくというのは倫理に反することで、「責め」を加えてもいいということになる。しかし、それを「新人」が見ると、「AがBを刺している」ようにしか見えない。Bが嘘をついたからといってAがBを刺したとしたら、誰がAの味方をするだろうか?)
しかし、ここで大きな問題がある。
評判システムの機能不全を認め、「責め」を放棄したところで、法律と日常生活の隙間を埋めてきた倫理の代替はどうするのか?
それなしでは、今回のように、ワクチン接種さえままならず、健康に生きていくという基本の基本(新人にとっても、命は「責められ」の回避の次に重要なものだ)さえ危うくなってしまう。
新人が大多数を占めるようになったら洗練された責任回避体制が完成するのかもしれないが、それまでの過渡期はどうするのか?
その答えはぼくは持っていない。
「振り仮名をルビに変換するページ」を作りました
↑これです。
どうしようもないほど手抜きですが、間に合わせということで。
(そこにも書いてますが)最初にフリがなツールで漢字にふりがな(漢字の後にカッコでかなをつける形式)をつけて、それを貼りつけて変換します。
漢字(かんじ)→漢字
といった感じ*1です。
手抜きのためによそのサイトの出力結果を利用する形にしたのですが、これはこれで修正がやりやすくていいかなと思っています。
- (フリがなツール)消毒(しょうどく)を行っ(いっ)た
- (手動訂正)消毒(しょうどく)を行っ(おこなっ)た
- (ルビ変換)消毒を行った
ところで、このルビ変換では間違いが起こることがあります。
「フリがなツール」(また、それが利用しているYahoo! のルビ振りAPIサービス)には「ふりがなレベル」という設定があり、「小4以上の漢字に振り仮名をつける」といったことが可能です。
しかし、このルビ変換では、そうするとうまくいかないことがあります。
例えば、「長時間眠っ(ねむっ)た」のような場合、「(ねむっ)」がどこからどこまでの文字に対応するルビなのかという情報がないため、次のようになってしまいます。
長時間眠った
この場合、「眠」の前にスペースを入れて変換してからスペースを取るといったことが考えられます。
ここから先は余談です。
このルビ変換ですが、「カッコ形式の振り仮名を別サイトでつける→それをルビに変換する」という二度手間になっています。
また、カッコ形式の振り仮名をルビに変換するというのは、上の「長時間眠った」のように、(総ルビでない限り)原理的に間違いが避けられません。
「フリがなツール」が使っているYahoo! のルビ振りAPIサービスでは、結果が単語ごとに返ってくるので、ルビをつける場所を間違えるということはありません。
ですから、自分でAPIの利用登録をして、自分のサーバーに適当なスクリプトを用意して、そこ経由でルビ振りAPIを呼ぶ、ということをすれば、二度手間や場所の間違いを避けられるはずです。
でも、私は面倒なのでやりませんでした。
プログラミングが得意な人なら、ちょちょっと書けばすぐにできると思います。
「ルビ振り」というのはコンスタントに需要があるはずなので、作ればある程度のアクセス数が見込めるんじゃないでしょうか。
誰かやりませんかね。
*1:ダジャレではない。
俺妹とスターリンの真相
ネット廃人のみんなはこれ見たことありますよね。↓
— 春ピュイア♪ (@illmatic94_n) 2015年3月9日
私はこれを見て、なんとなく「俺妹の表紙って元ネタあったんだ〜」ぐらいのぼんやりとした感想を持っていたのですが、そういう人に読んでいただけたらと思います。
まず、左の新聞。
これはいつどこで発行されたものなのか。
これが意外と新しいんです。
これ。↓
ジョージア(グルジア)のディラ・ゴリというサッカークラブとオーストリアのラピード・ウィーンというサッカークラブの試合に先立って、ジョージアのスポーツ新聞トップに載ったイラストとのことです。
なぜスターリンとヒトラーかというと、スターリンは現ジョージアのゴリ出身で、ヒトラーはオーストリア出身でウィーンで青年期を過ごしたということから来ているのでしょう。
スターリンの胸にはディラ・ゴリのエンブレムが、ヒトラーの胸にはラピード・ウィーンのエンブレムがつけられているそうです。サッカーファンが見たらわかるんでしょうかね。私はサッカーファンではないのでわかりませんでした。
さて、この新聞は2013年8月のものです。
俺妹1巻は2008年なので、明らかに俺妹のほうが先ですね。
ここでちょっと不思議なのが、「ジョージアのスポーツ新聞はなぜわざわざ俺妹表紙風のスターリンとヒトラーを描いたのか?」ということです。
動機が意味不明です。
で、ちょっと探したらミッシング・リンクが見つかりました。
これです。↓
「我的斯大林哪有这么可爱」(俺のスターリンがこんなに可愛いわけがない)、明らかに俺妹パロですね。
この人が描いたのかどうかはともかく、アップロードされたのは2011年6月です。
日本のラノベは東アジア圏で人気なので、中国語圏の人が俺妹パロを描くのは不思議はありません。
これは推測ですが、ジョージアのスポーツ新聞の人は、「スターリンとヒトラーのイラストが欲しい」というのがあって、"stalin hitler[検索]"とかやったんでしょうね。
それで出てきたこのイラストをパクって、サッカーチームのエンブレムをつけて完成、といったところです。
改めて流れを書くと、
となります。
俺妹パロの初出は2011年より遡る可能性はありますが、この順番が変わる余地はありません。
どうでもいいような小ネタですが、私みたいにぼんやり誤解している人が他にもたくさんいそうなので、アーカイブとして書いておきます。