カフカ「変身」を翻訳して Kindle で売ってみた(全文無料試し読みあり)
翻訳したのは、カフカ「変身」。超有名どころです。
Kinlde 向けに売っています。価格は 99円です。
99円という価格の理由はこのへんで。
なお、HonYeah! というところにも出していて、無料の全文試し読み ePub も置いてあります。
また、パソコンなど向けに xhtml ファイルでの全文試し読みも置いておきます。
ところで、カフカの「変身」は原田義人氏による青空文庫版が Kindle ストアで無料ダウンロードできます。
有料のものも多く出ています。Amazonで「カフカ 変身」で検索すると大量に見つかります。
じゃあ、なんで新しく翻訳なんかしたの? 意味あるの? 売れると思ってるの? バカなの? と聞かれるかもしれませんが、今回これを翻訳したのは、確固たる意志を持ってというわけではなく、流れのようなものです。
その流れというのは、以下のようなものです。
前職を辞めてからの無職期間*1、イタリア語を勉強していました。
なぜイタリア語かというと、妻がイタリア旅行に行きたいというのでイタリア語を勉強することになり、帰った後も無駄にするのはもったいないと思ったので続けていたというだけです。
そして、いい教材はないかと探していたら、「変身」のオーディオブックが見つかりました。このイタリア語版は比較的新しいもので、生き生きした現代語でリズムよく展開されるストーリーに思わず引き込まれました。それで、底本を探して Amazon で購入。買った以上は徹底的に勉強しようと、一行一行しっかり読み込んで、和訳もすることに。
ここで、「せっかく和訳するなら Kindle で売ってみてもいいんじゃないか」と思い、それを頭に置いた翻訳をすることにしました。もちろん、そう決めた以上原著に当たらないわけにはいかないので、翻訳する際にはドイツ語・イタリア語・日本語の三言語を並べて作業しました。ドイツ語は以前少し勉強したことがあったので。
「なんでそんな役にも立たない外国語を中途半端に勉強しているんだ」と言われると返す言葉がないですが。誰かに「選択と集中!!」と叫びながら殴られ続けたらたぶん死ぬと思います。
「変身」の魅力
これについては私が何か書くより、すでにある書評などを参考にしていただいたほうがいいと思いますが、少しだけ。
「変身」は、「単純に面白い」作品だと思います。主人公の現実否認する様子、荒唐無稽な状況の淡々とした描写など、すでに百年も前の作品ですが、時代を感じさせることがありません。
「文学作品」と身構えることなく、軽い気持ちで読んでも楽しめるものだと思います。読んだことがない方は、青空文庫版のほうでもいいので、ぜひご一読をおすすめします。
訳文について
イタリア語版を読んで、その生き生きとしたリズムに魅了されたのですが、やはり日本語で同じようにはできませんでした。言語の違いは大きいですね。
でも、原文の淡々としたレポートのような筆致だけはできるだけ再現したいと思い、そこには全力を注ぎました。ほかの訳文に比べても、個性のない・引っかかるところのない訳になっていると自負しています。
私のドイツ語力ですが、独学で数年勉強しただけで、これまで「変身」を訳されてきたそうそうたる方々とは比べるべくもありません。しかし、イタリア語版をはじめとした他言語版を参照したりすることによって、誤訳だらけということにはなっていないと信じています。翻訳するにあたっては、最初は青空文庫の原田義人氏のものを下敷きにしたのですが、ほぼ全面的に書き換えています。
訳し終わってからは、池内紀氏・丘沢静也氏・山下肇/山下萬里両氏の訳文を読み、誤訳がないかチェックしました。情報化以前という時代背景もあるのか、青空文庫版にはいくつか誤訳もあるようでしたので、原文と突き合わせたうえで修正しました。
ドイツ語の一文は長いのですが、この訳では適宜切っています。また、意訳か直訳かという問題もありますが、直訳のままで十分わかりやすいところは直訳で、そうでないところでは自分なりに工夫して意訳しています。また、この翻訳では基本的に会話文を段落立てしています。
なぜ無料で出さないのか
著作権の切れた文章などをオンライン化して公開する「プロジェクト杉田玄白」というものがあります。
その志はすばらしいと思います。私も最近、山形浩生さん訳の「タイムマシン(PDF)」をここで読み返しました。
ですが、私がそれに参加できるかというと、厳しいものがあります。
というのは、翻訳というのはかなりモチベーションが必要なもので、山形浩生さんや結城浩さんのような神レベルの人ならいざ知らず、私のような小人(しょうじん)は、苦労をするとそれなりに見返りがほしいと思ってしまいます。
同じボランティアベースのものでも、青空文庫はうまくいっているように見えますが、それはやはり「原本」というゴールがはっきりしているかどうかの違いじゃないかと考えています。
翻訳というのは、はっきりした最終形がないので、どこまで完成度を上げるのかというところが、どうしてもモチベーションに左右されてしまいます。今回これを翻訳するとき、何度も読み返し、少しでもいい訳になるように自分なりに力を尽くしましたが、そこにはやはり、たとえわずかであってもお金が入るかもしれないと思ったということもあります。
私のほかにも、「自分で学習用に翻訳した好きな作品があるので、完成度を上げて Kindle で出してみたい」というような人が出てこないかなぁと期待しています。
リンクを再掲します。最初のものが私の翻訳で、二つ目が原田義人氏による青空文庫版です。
訳すにあたって注意した・気になったポイント
1. "Gregor": グレゴール vs. グレーゴル
古い翻訳ではグレゴールが多く、最近の翻訳ではグレーゴルが増えています。前者は r のある or に、後者はアクセント音節の e に注目して長音にしたものです。グレーゴールとするのもおかしいので、どちらを選ぶかという問題なのですが、私はなじみのあるグレゴールを選びました。
2. "Wohnung": 家 vs. アパート
ザムザ一家の住居は、カフカと家族が住んでいたアパートをモデルにしているようです。"Wohnung" の訳語は「アパート」なのですが、日本語では形態にかかわらず自分の住居を「家」と呼ぶことが普通であるため、箇所によって「アパート」と「家」に訳し分けました。
3. "Bild": 絵 vs. 写真
"illustrierte Zeitschrift" は「絵入り雑誌」とも「グラフ雑誌」とも解釈できます。はたしてこの雑誌はどちらだったのか。当時の "illustrierte Zeitschrift" をネットで検索すると、絵のものも写真のものもあります。これは原語で区別されない概念なので、答えのない問題なのかもしれません。私は、最後まで迷った結果「絵」としました。飾るとしたら色付きのものではないかということ、また当時カラー写真は一般的ではなかったということを考えた結果ですが、強い確信があるわけではありません。なお、"illustrierte Zeitschrift" は、日本語で普通に「雑誌」と呼ぶものに近いと考え、そう訳すことにしました。
4. "Napf" の訳語
"Napf" はドイツ語で「餌鉢」という意味です。ただ、原語で基本語である "Napf" を「餌鉢」という複合語にしてしまうと、そこが目立ってしまうように思えました。ところで、どうしてペットを飼っていないザムザ家に「餌鉢」があったのでしょうか。もともとは人間用の食器だったのをグレゴール専用にして、その用途から "Napf" と形容しているのかもしれません。私は、「お椀」という特徴のない単語に訳すことにしました。
5. "ein trockenes Brot": 何も塗っていないパン vs. 乾燥したパン
"trocken" には「何も塗っていない」という意味があります。外国語版を見ると、イタリア語版ではこの解釈を採用しています。もちろん、「乾燥した」という意味もあるのですが、文脈から「何も塗っていない」のほうを選択しました。
6. "Schüssel": ボウル
これは日本語訳でも外国語訳でも、単純に「皿」と訳されていることが多いようです。ただ、イメージ検索をすると、この "Schüssel" は日本語でいうと「ボウル」にあたるもののように見えます。既訳で「皿」とされているのにはそれなりの根拠があると思うのですが、私自身にはそれがわからなかったため、「ボウル」としました。
7. "War er ein Tier, da ihn Musik so ergriff?": 「こんなに音楽に心引かれるのに、自分は動物なのだろうか。」
これまでのところは些末な問題ですが、ここは重要なポイントです。私は逆接に訳しました。
"da" には逆接の意味はないので、順接と訳すべきだという意見もあります。ですが私は、原田義人氏と同じく、日本語としては逆接にすることにしました。外国語訳でもこの解釈は分かれているようですが、前後の文脈などを総合的に考え、こう訳すことにしました。ただ、原文の解釈としては、順接とも逆接ともつかないものではないかと思っています。
8. "Seht nur, wie mager er war.": 「見て、すごくやせてる。」
ここも重要なポイントのひとつです。少し前で、グレーテはグレゴールのことを "es" (それ)と呼んでいたのが、ここでは "er" (彼)に戻っています。しかし、日本語で三人称代名詞を家族に対して使うことはほとんどないため、「彼」という言葉を挟むと不自然になってしまいます。
ここで「兄さん」を挟んで「見て、兄さんすごくやせてる。」とすることも考えました。ですが、明示的に「兄さん」と呼ぶというのは、原文の "er" に比べて意味合いがずっと強くなってしまうように思えたため、ここでは自然さを重視して訳出しないことにしました。
*1:なんだかんだで今もまだ無職で就活中ですが。