ひっくり返したら意味が変わる熟語・変わらない熟語

漢字熟語の中には、ひっくり返しても似たような意味になるものがある。

  • 外国:国外
  • 白黒:黒白
  • 回転:転回
  • 左右:右左
  • 中途:途中
  • 食糧:糧食
  • 生死:死生
  • 文例:例文
  • 習慣:慣習

それぞれ使いどころやニュアンスは少しずつ違うけれど、だいたい同じような意味になる。

これらは、主に三通りに分類できる。


(1) 回転:転回、習慣:慣習、食糧:糧食

(2) 白黒:黒白、左右:右左、生死:死生

(3) 外国:国外、中途:途中、文例:例文


どういう基準で分けているかわかるだろうか。

(1) 似たような意味の漢字を並べたもの

「食」と「糧」には、どちらにも「たべもの」という意味がある。だから、それらを組み合わせた「食糧」や「糧食」も、やはり「たべもの」という意味になる。

そもそも、なぜ似たような漢字を並べた熟語があるのか。

それは中国語の話になる。


同じような表現を並べて意味を強めるということはいろいろな言語で見られる。

日本語でいうと、「嘆き悲しむ」などがその例。

「嘆く」と「悲しむ」という同種の単語を並べることによって意味が強調される。

この「嘆き悲しむ」は一語なのか二語なのか微妙なところがあって、Yahoo! の辞書でいうと、大辞泉には収録されているものの大辞林にはない。


「食糧」や「糧食」も、品詞は違うがそれと似たようなもので、古代中国語の単語「食」と「糧」を並べたもの。

古代中国語は一音節のことばが多い言語で、二音節の単語に見えるものがあっても、一音節の単語を並べたものとの区別は難しい。

そのような単語の並びが時間とともに固定され、れっきとした二音節語になったものは多い。

そのような単語の多くでは語順がひとつに固まったが、両方の語順が残ったものもあり、それがこのタイプのペアになる。


日本語と中国語で一般的に使われるものが違うということもある。

  • 運命(日):命運(中)
  • 言語(日):語言(中)
  • 平和(日):和平(中)
  • 音声(日):声音(中)

など。

(2) 反対の意味の漢字を並べたもの

「黒白(こくびゃく)」と「白黒(しろくろ)」、「左右(さゆう)」と「右左(みぎひだり)」など。

このタイプは音読みと訓読みのペアが多い*1

音読みの熟語は中国語での組み合わせ方で、訓読みのものは日本語での組み合わせ方なので、それが一致しないとこのタイプになる。

(3) 片方の字が関係を表すもの

「途中」というのは、日本語で解釈すると「道の半ば」となる。

この場合、「半ば」というのは「道」に対する関係で、「道の半ば」というのは、「道」のある一部、つまり依然として「道」を指すことになる。

これは「半ばの道」と言っても同じことだ。

それで、「中途」は「途中」と同じ意味になる。

「リンゴの半分」と「半分のリンゴ」で(ニュアンスの違いはあっても)同じような意味になるのと似ている。


ここまで、ひっくり返しても同じような意味になる熟語の例を挙げてきたが、ひっくり返したら意味がまったく別になるものも多い。

どういう場合かというと、「A の B」のような修飾関係を持つもので、この場合 B が中心部になる。

たとえば、「害虫」と「虫害」。

「害となる虫」と「虫による害」のように、中心部はそれぞれ「虫」・「害」となる。

このようなタイプは数が多い。

  • 客船(客を乗せる船):船客(船に乗る客)
  • 乳牛(乳を出す牛):牛乳(牛が出す乳)
  • 学力(学問の力):力学(力の学問)
  • 字数(字の数):数字(数を表す字)
  • 温室(温かい部屋):室温(部屋の温度)
  • 女王(女の王):王女(王の娘)

などなど。


さて、なんでこんなことを書いているかというと。

先週娘が生まれたのだが、「ひっくり返したら○○」と言われかねない名前をつけることになった。

それにはいろいろな事情があるのだけど(音との兼ね合い・日中ハーフであることなど)、そもそも熟語の構成も考えずに「ひっくり返したら○○」などということがナンセンスだと言いたくて書いた。

まあ、それでも言う人は言うと思うけど。


ところで、昔からある名前で「ひっくり返したら○○」となるような例を挙げてみる。

利徳(としのり)→徳利(とっくり)
進二(しんじ)→二進(にしん)
由理(ゆり)→理由(りゆう)

など。


「ひっくり返したら〜」という声に対しては、「ひっくり返さんかったらええやん」(なぜか関西弁)と答えていきたい。

*1:「死生」:「生死」のような例外もある。