「聞く」と「訊く」の使い分け

まず最初に。

「聞く」と「訊く」の使い分けは、「意味によるもの」ではありません。


こう言うと、若い人の中にはえぇっ? と思う人もいるかもしれません。質問するのが「訊く」で、音楽を鑑賞するのが「聴く*1」で、それ以外が「聞く」じゃないの? と。

それが、違うんです。少なくとも、伝統的には違いました。ある程度の年齢で、本を少し*2読んでいる人は知っていると思います。

「質問をする」という意味でも、昔から「聞く」が使われているんです。


まず、「坊っちゃん」の冒頭部分を見てみましょう。

なぜそんな無闇(むやみ)をしたと聞く人があるかも知れぬ。

ここでは、「質問する」という意味で「聞く」が使われています。


字を書き換えたんじゃないの? と思う人がいるかもしれません。

しかし、書き換えというのは、「國」と「国」のように、旧字*3を新字に置き換えたりすることはありますが、「訊く」を「聞く」に置き換えるということはしません。それは、作品を壊してしまうからです。*4


次は、だいぶ時代が後になりますが、人間失格です。

何が欲しいと聞かれると、とたんに、何も欲しくなくなるのでした。

ここでも、「質問する」という意味での「聞く」です。


それでは、どういう時に「訊く」が使われてきたのでしょうか。


太宰治と同時代の林芙美子による新版 放浪記を見てみます。

「お前さんは、赤ん坊を生んだ事があるんだろう?」お計ちゃんがそんな事をいている。*5

「訊く」が使われていますね。

何が違うか、わかるでしょうか。

それは、スタイルです。


文中に「訊く」があると、いかにも小説といった雰囲気が醸し出されます。それが具体的にどういうものかは読む人によってイメージが違うと思いますが、普通とちょっと違う字の使い方がされていることで、ふだん読む新聞記事などと少し違った感覚を味わえます。


だから、読者の注意を文面に向けたくない時は、「聞く」が使われます。

たとえば、星新一の「不満」というショートショート(とても短い小説)に、次のような一文があります。

考え込んでいるおれを、やさしく眺めながら、連中はこう聞いてきた。

このショートショートは SF なので、大切なのはアイデアです。文面に個性を出して、そちらに注意が行ってしまってはいけません。だから、星新一は「聞く」を使っているのです。これを「訊く」にしてしまうと、大げさに言うと、やはり作品を壊してしまうことになります。


その他に、「いかにも小説らしい雰囲気」を出してはいけない時も、「聞く」を使うか、平仮名で「きく」とします。今度は、群ようこのエッセイ『別人「群ようこ」のできるまで』を見てみます。

「私どんなところが向いてると思う?」
「そんなこと親に聞かないでくれる」
母は明らかに娘よりも沢田研二のほうに関心があるらしく、おかきをボリボリかじりながら目はじっと画面をみたままである。

ここで出したい雰囲気は、決して「いかにも小説らしい雰囲気」じゃないですよね。「訊く」を使ってしまうと、地の文の「おかきをボリボリ」とまったくつながらなくなってしまいます。


ここからは少し、理屈の話をします。


「きく」を英語にすると、"hear" や "listen to" ですが、「質問する」という意味では "ask" になります*6

それなら、意味を区別するために「聞く」と「訊く」を使い分けたほうがいいんじゃないの? と思う人もいるかもしれません。

でも、ちょっと次のことを読んでみてください。


ひとつの動詞がいろいろな意味を持っているということは、日本語の他にもあります。

英語では、たとえば "leave" がそうです。

"He left Tokyo for Osaka." といえば、「彼は東京を離れて大阪に向かった」です。

"He left a message." といえば、「彼はメッセージを残した」となります。

文脈によって、"leave" が「離れる」という意味になったり、「残す」という意味になったりします。


日本語の「きく」も同じです。

「きいたことのある声」では ”hear"、「先生にきいてみた」では "ask" という意味になります。

意味は、文脈によってわかるようになっています。

"leave" という言葉で「離れる」と「残す」の区別が表現できない英語がダメな言語だとか、「きく」 という言葉で "hear" や "ask" の違いを表せない日本語が欠陥言語だとか、そういうことはありません。


ところで、「きく」を謙譲語にすると、「伺う」になります。

「伺う」にも、"hear" や "ask" の意味があります*7

でも、「お話は伺っております」や「大臣に伺いたい」のそれぞれがどういう意味かは、漢字で書き分けなくても、文脈によってわかります。


このように、"ask" にあたる「きく」を、"hear" と同じように「聞く」と書くことには、日本語なりの理屈があるのです。

もちろん、言語は理屈だけではないので、「聞く」の代わりに「訊く」を使うということもされてきました。

でもそれは、どちらが「正しい」とか「正しくない」ということではありません。

また、どちらが「いい」、どちらが「よくない」ということでもありません。


最近、「"ask" の意味では『訊く』が正しい」というものを見たので、「いや、ちょっと待ってよ」と思って書いてみました。

元々、漢字とは中国語を書くためのものであり、それを使って和語を書くときに、何が正解とは言いにくいところがあるのです。

日本人と漢字との関わり方については、中国文学者の方が書かれた次の本に詳しいので、よろしければご参考ください。


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*1:「聴く」についてはここで触れていませんが、注意して「きく」という時、たとえば「音楽をきく」「講演をきく」などでは、「聴く」と書くということになっています。ただ、日本語としては「聞く」と同じものなので、そういうところで「聞く」と書いても間違いではありません。

*2:少しというのは、小説 10冊と新書 10冊程度を考えています。

*3:正字という人もいます。

*4:松山市の「子規堂」というところに原稿が展示されていて、その写真もネットで検索すれば見つかります。

*5:初出にはありません。また、新版のほうにも、一部「聞く」があります。

*6:"ask" も多義語ですが、ここでは一番基本的な意味で考えます。

*7:"go" という意味もありますが、ここでは置いておきます。