ネットに広がる「正しい」日本語
ネットで日本語を観察していると、「正しさ」を求めて知恵袋などで質問する人がいます*1。
「『分かる』『解る』『判る』はどう使い分けるのが正しいの?」
一方で、ネットではいろいろな「正しさ」の主張も目にします。「訊く」や「目をみはる」については、これまでここで扱いました。
「正しさ」の主張としてよくあるのは、「本来はこう書くのが正しいが、当用・常用漢字によってそれがゆがめられた」というものです。
ただ、そういう人が思う、ゆがめられる前の「正しい」日本語というのは、実は昔から「スタイル」のひとつにすぎないということが多いのです。
以前記事にした「訊く」はその典型ですが、今回は
- 失(な)くす*2
- 点(つ)く・点(つ)ける
- 保(も)つ
の三つを取り上げます。
この三つに共通するのは、「これまで平仮名で書かれることが一般的だった」ということです。
「財布をなくした」「火がついた」「身がもたない」のような書き方ですね。
紙の日本語を読んでいたら、これらには平仮名で書く慣用があるとわかるところです。
ですが、普段から IME に頼って「正しい」漢字を探す癖のある人は、こういうところで「正しい」表記を求めて変換してしまうのかもしれません。
これらの書き方はいずれも、たとえば日本国語大辞典や広辞苑といった辞書に出てくるようなものではありません。
ですが、独特の「それっぽさ」を持っているため、これらが「正しい」というネット知識が広がりやすくなっているようです。
なぜこれらの書き方が辞書に出てこないかというのは、常用漢字とはまったく別のレベルの話です。
これらには、次のような特徴があります。
- 歴史が浅い。
- 使用者が限られている。
- 整合性に問題がある。
まず、これらの書き方というのは、明治以降に「漢字と日本語の創造的な組み合わせ」が流行した時期に使われたものの一部で、江戸以前からの歴史がないわけです。そのため、「言海」といった古い辞書にはありません。
また、そういう創造的な組み合わせを使っていたのは主に小説家であって、その広がりは限定的でした。さらに小説家の中にもいろいろなスタイルがあり、ここに挙げたようなものを使う人は一部(多いのは仮名書き)でした。
整合性というのは、これらの単語が日本語の中で占める位置のことです。
たとえば、「なくす」という言葉は「ない」「なくなる」とつながっています。「なくす」を「失くす」と書くなら、たとえば「ない」は「失い」と書くのかという問題があります。
「火がつく」というのは、「つく」という単語が持つ広いイメージの中の一部です。
「もつ」という言葉は、「長持ち」「日持ち」といった派生語を持っています。また、「もつ」を「保つ」と書くことの不便さは、想像力があれば誰でもすぐにわかると思います。
和語を漢字で書くにあたって、読みさえつければ、どの漢字にどの和語をあてようと自由です。たとえば、「殺(や)る」とか「殺(と)る」のようなものですね。このようなものは、漢字に和語を創造的にあてるという意味では、伝統的なやり方に沿っていることになります。
ただ問題は、そのように創造的にあてられた読みを「正しい」と思って使ってしまう人がいるということです。
それによって、例えば
- ネットニュース・論説文などで
- 読みをつけずに
- 「失くす」「点く」「保つ」のような創造的な当て字を使う
ということが起こります。
日本語では、小説と実用文のスタイルに違いがあるのに、前者のものを後者に持ち込むと場違いになったり、不便になったりしてしまいます。
これが進んで、これらの読みが実は正しかったということになってしまうと、伝統的な日本語や、それを記述した国語辞典との亀裂が生じます。
従来であれば、慣用というものは長い時間をかけて形成されてきたものなのですが、ネットでは「それっぽさ」を持ったものが一気に広がってしまうところがあります。
伝統的でない創造的な書き方が「正しさ」を獲得するということは、これまでも数十年〜百年といった単位では起こってきました。
たとえば、「混む」というのは非伝統的な書き方で、昔は「込む」と書かれていたのですが、長い慣用を経て、常用漢字として認められるまでになりました。
ただ、こういうことがネット時間で数年の間にいくつも起こってしまうと、過去の日本語との整合性がなくなり、いろいろなところにひずみが生まれてしまいます。
ネットや IME を頼りに日本語を学ぶというのは、いろいろと危ういところがあります。
たとえば、誤字等の館:始めた切欠にあるように、「きっかけ」を漢字で書こうとして「切欠」としてしまうということがあります。
IME に提示されるため、地名であると気づかず変換してしまうんですね。
親切なことで定評のある ATOK でも、「切欠《地名》」とまでは提示してくれません。
となると、頼りになるのは辞書なのですが、「本来」の日本語を捏造する人 の記事で書いたように、自分の読みたいことが書いていないと間違っていると思ってしまう人もいるようで、頭の痛い話です。市販の辞書では「権威」が足りないのでしょうか。
日本語についてのよりどころとなってくれる辞書としては、一般的には広辞苑が挙げられることが多いと思うのですが、ここではあえて「日本国語大辞典」を取り上げてみたいと思います。
それぞれの単語が歴史的にどのような使われ方をしてきたか、どのような広がりを持っているか、豊富な例文とともに微に入り細をうがって記述されています。
和語は歴史的なつながりのあるものがひとつの項目にまとまっています。たとえば、「継ぐ」「次ぐ」などは同じ「つぐ」という言葉(引き続く・下に位する)だということがわかります。
「言海」をはじめ、過去の辞書ではどのような表記が掲載されてきたかという情報もあります。「つぐ」には 54通りもの書き方があり、和語を漢字で書くことの難しさを実感します。
一冊 15,750円。全13巻+別巻で 220,500円。お金と場所が無限にあったら買いたいところです。
まあそれはともかく、私はジャパンナレッジというサイトを利用しています。月額 1,575円、または年間 15,750円で日本国語大辞典をはじめ各種辞典類が利用できます。年間契約で 14年利用したら全巻買えることになりますが、置き場所のことを考えるとこちらが現実的ではないでしょうか。
この「日本国語大辞典」は、現代日本語の集大成ともいうべきものです。
できれば、ネットで流行する「正しさ」のためにこの辞書を三年ごとに改訂しないといけないという羽目にはならないでほしいと思ってしまいます。
ところで、冒頭の「エアコンを『つける』」ですが、知恵袋では次のような回答がされていて安心しました。
調べられても明確な答えが得られない理由は、「つける」とひらがなで表記するのが、本来、正しいからです。
元になっている漢字が必ずあるはずだ、と思い込んでおられることが、そもそもの誤りだと思います。
「正しい」というのは難しいのですが、この意味の「つける」はひらがな表記の伝統があることは確かです。
「失くす」「点ける」「保(も)つ」などが流行するのはいいにしても、それが安易に「正しさ」につながらなければいいのですが。