実例に見る実用文のスタイル

印刷の日本語は、非常に質が高い。編集者や校正者によってチェックされているからだ。

それに対して、ネットの日本語は質がバラバラだ。書くことのプロでない一般人が日本語を書くので、どうしてもそうなってしまう。

かといって、お金をもらうわけでもない文章にそんなに手間はかけられない。自分で気をつけるのが精一杯だ。

ここでは、気をつける時*1に参考になるようなことを、「森のくまさんの謎」を例として、特に「漢字と平仮名の使い分け」を中心に書いてみる。

ここでは、解説記事などの実用文を想定している。

また、この記事は「森のくまさんの謎」のようなスタイルを身につけたい人を対象としているので、もちろん誰かに強制するつもりはない。

漢字と平仮名の原則

大きな原則として、「意味の重いところは漢字で書き、軽いところは平仮名で書く」というものがある。以下では、それを具体的に解説する。

形式名詞は平仮名で書く

また、娘の方もイヤリングを受け取るなり、食われそうになったことを忘れて、お礼に歌うなどと悠長なことをしてしまうのである。

形式名詞というのは、この「こと」のようなものを指す。「こと」は「事柄」という意味を持っているが、「〜すること」のような形ではその意味が薄れているため、平仮名で書く。

それに対して、「事を構える」「事を荒立てる」のような場合は、「事」と漢字で書く。

まず、これまで等閑にされてきた疑問点だが、非常に重要な事実を含むものを指摘しておきたい。

の「もの」も形式名詞。

「家にが多すぎて困る」のような場合は、名詞なので漢字で書く。

区別するポイントは、「もの」を「物体」のような言葉に置き換えて意味が通じるかどうか。「非常に重要な事実を含む物体」では意味が通じないが、「家に物体が多すぎて困る」は、なんとか(不自然だが)通じる。

あらゆる童謡関連書籍の挿絵が「くまさん」を熊の姿に描いているところからもそれは明らかである。

の「ところ」も、「場所」のような言葉では置き換えられない。

「別のに行く」のような場合は、「場所」で置き換えられるので、平仮名にしてもしなくてもよい。

他には、「わけ」「はず」「つもり」「よう」「ため」「せい」「おかげ」「まま」「くせに」「たびに」*2などがある。

いくつか例を引用する。

海からは遠く離れているはずのその村で、「貝がらのイヤリング」など簡単に持ち主を特定されるであろう。

襲うならその場で襲うであろうし、襲うつもりがないのであれば「お逃げなさい」などという必要はない。

この歌詞のように事実の伝達を主とする場において、禽獣を「さん」づけで呼ぶことはありえないからである。

この可能性を補強するために、別の根拠を提示しよう。

接続詞は平仮名で書き、読点をつける

接続詞とは、簡単にいうと文と文をつなぐもの。平仮名で書き、読点を「、」をつける。次のような例がある。

しかしながら、私はこの説を支持しない。

また、ついで有力とされるのが「別人説」である。

あるいは、「お嬢さん」とは別方向に立ち去る必要があったのかもしれない。

文頭の「したがって」も接続詞なので、平仮名で書き読点を添える。

したがって、この「うたう」にはお礼に値する何かが隠されていると見るのが順当であろう。

「上司の命令に従って行動する」のように、動詞として使われる場合は漢字で書く。

補助用言などは平仮名で書く

用言というのは、動詞と形容詞の総称。

補助用言というのは、他の用言に続けて使い、本来の意味を失っているもの。

なぜ、「お逃げなさい」と言っておきながら、「ついてくる」のか。

この「おく」は「物を地面に置く」でのような、本来の意味を失っている。そのため、これは平仮名で書く。

他にもいくつか例を挙げる。

ここから、上記の各点についてそれぞれ述べていきたいと思う。

すなわち、両者の心中を簡潔に書いてみると恐らく以下の展開になる。

万物の霊長たる人間であろう「お嬢さん」の頭が悪すぎる

それぞれ、「行く」「見る」「過ぎる」とはしない。

これら以外には、「〜しやすい」「〜しにくい」「〜してほしい」「〜しづらい*3」なども平仮名で書く。

パソコンで変換する場合、これらはそのまま平仮名になる場合が多いが、スマートフォンタブレットの場合には注意する必要がある。

補助用言の中でも、「〜し始める」「〜し出す」「〜し続ける」「〜し終わる/〜し終える」は漢字で書く。

副詞は平仮名で書く

副詞というのは、動作や状態の「様子」を表すもの。例を見たほうがわかりやすいかもしれない。

ひとつには関西で特定の職業の方々がよく用いるものがある。

この「よく」は、「どれだけ」用いるのかについて、回数が多いということを表している。

副詞は、「どれだけ」や「どうやって」の答えになるようなものが多い。

これはあまりに誠意がないのではないか。

のようなものも、そのひとつ。

また、「なぜ」「いつ」も副詞に分類される。

なぜ森に若い娘が一人でいるのか、という問題である。

いつ爆発するか分からない」というのは、走って逃げる重要な要因ともなる。

副詞は名詞や動詞の前に置かれることが多く、それらは漢字で書かれることが多いため、平仮名で書くほうが区切りがわかりやすい。「なぜ森に若い娘が一人でいるのか」と「何故森に若い娘が一人でいるのか」では、前者のほうが読みやすくないだろうか。

副詞には、他に「ようやく」「やはり」「あえて」「むしろ」「かつて」「しばらく」「さっき」「とても」「すっかり」「とりあえず」「ちなみに」「すぐ(に)」「さすが(に)」「ほとんど」などがある。副詞の中には、もともと漢字を持たないものも多い。

副詞のように見えるものの中でも、「早く食べなさい」のように形容詞から派生したものは、元の形容詞と同じように書く。

また、「結構」「結局」「実際」のような漢語は、漢字で書かれることが多い。

だが、「もちろん」のような漢語としての意識が薄れているものは、平仮名で書かれることが多い。「一旦/いったん」などは中間的で、漢字も平仮名もある。

何が副詞かということを考えるのは多少の慣れが必要だが、実用文スタイルの文章ではこれが重要になる。

小説などでは、演出したい雰囲気に合わせて、「何故」「流石」「殆(ん)ど」のように漢字のあるものは漢字にしてもよい。漢字で書くと決めたものは、一貫して漢字にする。

固定した助詞と動詞の組み合わせは平仮名で書く

これは、実例で見たほうがわかりやすい。

すなわち、一般に童謡においては童話とは異なり、人間と動物の会話は禁じられていると考えられるのである。

この「において」はひとかたまりで、全体を「で」と置き換えることができる。このような、助詞と動詞が組み合わされてひとつの意味を表すものは、基本的に平仮名にする。

別の例を挙げる。

(a)「お嬢さん」は何者かによって森へ連れ込まれた。

(D)その場所から逃げるにあたって、「お嬢さん」と「くまさん」が同行しているところを他人に知られてはならない。

ならば、その「お嬢さん」にとって「危険な場所」といかなるものか。

そして、「お嬢さん」は、それらすべてについての経緯を「うた」ったのである。

このようなものには、他にも「先月から今月にかけて」、「二年間にわたって」などがある。

ただし、「〜に対して」「〜に関して」のような漢語を含むものは、一般的には漢字で書く(平仮名で書かれることもある)。

つまり年配の男性は、若い娘に対しては「お嬢さん」という呼称を用いることが多いのである。

順序に関しては本稿の構成上多少前後するが、その点はご承知おき願いたい。

このような例には、他に「〜に際して」「〜に応じて」などがある。

少し性質は違うが、「にもかかわらず」もひとかたまりで、全体を「のに」と置き換えることができる。これも平仮名で書く。

くまさんは襲いかかりそうになっていながら、落とし物を見た瞬間に、自分が「お逃げなさい」と言ったにもかかわらず、「お、落としてるがな、こらいかんがな」と追いかけてしまうのである。

実用文と小説のスタイル

ここまでで述べた「漢字と平仮名の原則」は、基本的には実用文・小説文の両方に当てはまるものだが、ここからは主に実用文スタイルが対象となる。

熟字訓は、なるべく使わない

熟字訓というのは、たとえば「所謂(いわゆる)」「相応(ふさわ)しい」のようなもの。

いわゆる「伏せ字」である。

……むしろ人込みに紛れることのできる都会の方がふさわしい

熟字訓は小説などで使われることが多く、また一語ごとに記憶する必要があるため、個人によって知識の差がある。滞りなく情報を伝えることを目的とする実用文では、平易に書くようにする。

実際に、「少納言」という日本語のデータベースで、「書籍」の中で「文学」を除いたものから検索すると、「ふさわしい」の 1054件に対し、「相応しい」は 86件と、8パーセント程度となっている。「文学」では、472件に対して 61件と、もう少し多くなる。

また熟字訓は、それに当てられた漢字の他の読みと紛らわしくなることがある。

そのような例には、「氷柱(つらら・ひょうちゅう)」「黒子(ほくろ・くろこ)」などがある。それぞれ、前者の読みでは「つらら」「ほくろ」と書いたほうが曖昧にならない。

「雪崩(なだれ)」「老舗(しにせ)」などのように、それが唯一の書き方となっているものは、そのまま使う。

揺れのある用言の書き分けは、なるべく使わない

用言の書き分けには、「収める/納める/治める/修める」のように、使い分けが決まっているものがある。「矛を収める」「税金を納める」「国を治める」「学問を修める」のように、規範が確定している。

しかし、「わかる/解る/判る」のようなものは、書き分けが安定していない。人によって、使ったり使わなかったりというスタイルがある。

このようなものは、ニュアンスや雰囲気を伝えるものが多い。「わかる」を例にとる。

劈頭の二行に注目してみれば、くまさんにであったことが二回も繰り返されていることがわかるが、他にこれほど明らかな繰り返し部分はない。

これを「判る」とすると、「判別する・判明する」というニュアンスが強くなる。「解る」とすると、「理解できる」というニュアンスになる。ここでのニュアンスは前者に近いため、小説によっては「判る」と書かれるところかもしれない。

しかし、日本語の「わかる」は「判別する・判明する」「理解する」の両方にまたがる広い意味を持っている。書き分けると、それを「判」「解」という枠に押し込めてしまうことになる。

今度は、「科学者とあたま」から例をとる。

やっと、それがだめとわかるころには、しかしたいてい何かしらだめでない他のものの糸口を取り上げている。

ここでの「わかる」は、「判別・判明」と「理解」の両方を指している。この「わかる」は、実験した結果、予想と合わないことが「判明する」ことかもしれないし、考えを突き詰めた結果、その方法ではうまくいかないということを「理解する」ことかもしれない。

このようなことを考えると、実用的な文章では、一貫して「わかる*4」を使うことが望ましい。

意味を区別する必要がある時は、「判別する」「理解する」などの熟語を使うと明確になり、読み上げる場合にも区別ができる。

「問う」という意味の「きく」も、実用文では基本的に「聞く」とする。これについては、『「聞く」と「訊く」の使い分け』にまとめた。

漢語は常用漢字でないものも漢字で書く

……この歌詞のように事実の伝達を主とする場において、禽獣を「さん」づけで呼ぶことはありえないからである。

この「禽獣(きんじゅう)」という言葉の意味がわからない人は、これが「きん獣」と書いてあれば意味がわかるだろうか。

もちろん、そんなことはない。

「禽獣」という言葉は日常語ではないので、知っている人は読書を通して字面とセットで覚えている。知らない人は、語彙自体にこの言葉がないので、「きん獣」と書いてあってもわからない。

このようなものは、今の実用文では漢字で書くことが慣例になっている。常用漢字でない漢字を含むものは、可能であれば、全体に読み仮名をつけることが望ましい。

このようなものは、本文に「劈頭(へきとう)」「転訛(てんか)」などがある。これらも、「へき頭」「転か」と書いてもわからない。

逆に、和語については、平仮名で書くことで平易にできる。

たしかに、こう考えるといずれ劣らぬバカではあるが、一応つじつまは合う。

少なくともイヤリングを受け取ったら、即座にきびすを返して逃げるべきであると思われるのに、である。

話がそれた

では、それはいかなる危険なのか。

(A)「くまさん」は、何らかの危険から「お嬢さん」をかばおうとしている。

これらは「何れ」「辻褄」「踵」「逸れた」「如何なる」「庇おう」と書くこともできるが、読みやすさのため、実用文では一般に平仮名で書かれる。同じ漢字でも、漢語の場合は「逸失」「庇護(ひご)」のように漢字で書く(「庇」は常用漢字ではないので、可能であれば振り仮名をつける)。

和語については、常用漢字表を参考にするとよい。

細かいところ

常用漢字表外であっても、慣習的に使われるものはある。

名詞では、「罠」「檻」「嘘」などがある。

動詞は、「炒める」「這う」などは漢字で書く。「儲ける」「歪(ゆが)む」「貶(おとし)める」などもよく使われる。「覗く」はどちらもあるが、最近は漢字で書かれることが増えている。

また、常用漢字表には「読み」がついているが、それに入っていないものでも、慣習的によく使われるものとあまり使われないものがある。

「苛(さいな)む」「抗(あらが)う」などは比較的よく使われる。

「捻(ねじ)る」「捻(ひね)る」は漢字で書いてしまうと紛らわしくなることもあり、実用文ではあまり使われない。

「剥*5」の場合は、「剥(は)ぐ」「剥(む)く」では紛らわしいので、後者は平仮名にする。前者は、どちらの書き方もある。

ネットでよく使われている漢字の中には、これまで実用文であまり使われてこなかったものもある。

「仰(おっしゃ)る」「捗(はかど)る」「虐(いじ)める・苛(いじ)める」「貶(けな)す」「喚(わめ)く」「弄(いじ)る」などがそれにあたる。特に、「弄(いじ)る」のようなものは、伝統的に使われる範囲が限られていたため、書籍の日本語に触れている人には特定のイメージを引き起こすことが多く、実用文では避けたほうがいい。このような、ネットと印刷での用法の違いに興味がある人は、こちらの記事も読んでみてほしい。


個々の単語をどう書くかは慣習によるところが大きく、はっきりした決まりがあるわけではないので、ここで網羅的に書くことはしない。普段から新書などで多くの実用文に触れておくとよい。


この記事は、「森のくまさんの謎」のような、明快に論理を伝える書き方としての実用文スタイルに魅力を感じてくれる人が増えればと思って書いた。

*1:ここでは「時」を漢字で書いているが、実用文では「とき」と書かれることが多い。実用文でも、個人ごとにいくらかスタイルの違いがある。

*2:http://www.geocities.jp/niwasaburoo/14keisikimeisi.htmlより。

*3:*「つらい」の濁ったものなので、「〜しずらい」とはしない。

*4:「分かる」でもいいのだが、ここでは「わかる」としている。

*5:正式な字体は違うのだが、ここでは「剥」と書く。