「履く」と「穿く」が面倒なことになったいきさつ

ズボンや靴を「はく」というのは、どう書くか。*1

ご存じの方は多いと思いますが、これはけっこうやっかいな問題なんですよね。


もっとも、「あ、これ正解知ってる」という人もいるでしょう。

ズボン・スカートは「穿く」で、靴は「履く」でしょ、と。


ここで、「じゃあ、靴下は?」となると、問題が急に面倒になります。

というのは、靴下を「はく」をどう書くかについては、辞書によって主張が分かれているからです。

国語辞典

調べてみたところ、靴下を「履く」派と「穿く」派の辞書は、以下のようになっていました。

かなり拮抗していますね。


でも、この問題が複雑になったのはどうしてなんだろうというのが、私にとっては前から疑問でした。

というのは、漢字の意味、つまり中国語での意味を考えると、全部「穿」で問題ないところだからです。

「ズボン等は突き通すから『穿』だ」というのはよく見ますが、近代中国語*3では服もズボンも靴も靴下も、全部「つきとおす」という発想で「穿」を使います。

戦前の表記

実際、戦前(明治から昭和前期)の間は、中国語と同じ発想で、すべて「穿く」を使うのが普通でした。



五十三次草鞋日記


「股引、脚胖、足袋、草鞋の穿きやう迄」と、まとめて「穿く」が使われています。

その前後を見ても同じです。


日本初の近代的国語辞典といわれる「言海」を見てみると、挙げられている漢字はやはり「穿」「着」です*4


(二)腰ヨリ下部ニ着ク。「袴ヲ―」脛巾ヲ―」足袋ヲ―」沓ヲ―」穿


「腰ヨリ下部ニ着ク」というのはわかりやすい説明ですね。

江戸以前

ただ、この「穿く」というのは主に明治以降のもののようです。

それ以前のものを見ると、はきものについては古くから「履く」が使われています。


たとえば、今昔物語集を見ても「履く」が使われていますし、その後ずっと江戸時代まで、はきものを「はく」というときの主流の書き方は「履く」でした。

足袋についても、浮世風呂などで「履く」と書かれています。


一方で、下半身につけるものについては、「着(は)く」という表記が「田舎芝居忠臣蔵」にありました。

この時代は袴などについても「着る」「着ける」と言うことが多かったようなので、漢字を当てるなら「着」になるのが自然だったのかもしれません。

ただ、カナで書かれている場合も多くあり、「着(は)く」はあまり定着していなかったように見えます。

戦前の「履く」の広がり

江戸時代までは主流だった「履く」ですが、言海には収録されていません。

後で書くように「履く」という表記は日本独自のものなので、この段階で認めることは難しかったのかもしれません。


しかし、その後の辞書を見ると、徐々に「履く」が進出してきています。*5

  • 大日本国語辞典(1915-1919): 著*6 穿
  • 言泉(1921): 穿く・履く
  • 広辞林(1925): 穿/
  • 言海(1932-1935): 穿 着
  • 辞苑(1935): 穿く/履く

言海に「履く」がないのは、「言海」の後を継ぐという性質によるものかもしれません。

この時代の特徴としては、「履く」を採用しているものでも、「穿く」の例文に靴類が挙げられているということがあります。


辞苑では次のようになっています。

は・く[穿く] 腰から下に著ける。うがつ。「下駄を―」

は・く[履く] 足に著ける。足にうがつ。


こちらは広辞林(初版)です。

は・く[穿] 腰より下に著く。うがつ。「袴を―」。「を―」。

は・く[履] 足に著く。足に穿つ。


このように、「履く」を項目として挙げるものの、依然として「穿く」は腰から下につけるもの一般に使えるという扱いでした。

戦後の辞書の変遷

戦後は、今につながる「履く」「穿く」の書き分けが広がっていきます。

たとえば、辞海(1947)では、次のように書いています。

(二)[穿]腰から下につける。うがつ。「足袋(ゲートル・ズボン)を―」(三)[履](げた・くつ等を)足につける。


語釈の「腰から下につける。うがつ。」というのはそれまでの辞書と同じなのですが、靴類が例文にありません。


広辞林でも、初版には「穿く」に「を―」という例文があったのが、新版(1958年)では消えています。

は・く[〈穿く] 袴・ズボンなどを身につける。うがつ。


広辞苑と新明解の変遷も面白いところです。


広辞苑の初版では、次の画像のように、項目の漢字として【佩く・帯く・穿く・履く】を挙げながらも、使い分けは示さず、語釈としては「(2)腰・腿(もも)・足につける。うがつ。」と「(3)(下駄・靴などを)足先につける。」で分けていて、「足袋」は(2)に分類しています。



それが、第四版(1991年)では次のようになっています。



「足袋・靴下など」を(3)に分類し直したうえで、《履》という表記をつけています。

第三版までは足袋は(2)だったので、意図的に分類し直したということですね。

これは推測ですが、足袋に対して「履く」を使っている例があるため、そうしたということかもしれません。

ここまでは第四版の話なのですが、その後第五版(1998年)で(2)(衣類)に《穿》という表記が加わり、今に至ります。


新明解のほうは、第一版(1972年)は次のような語釈です。

は・く

[一]【〈穿く】

(一)足を保護する物を足先につける。「たびを―・くつを―」〔後者は、履くとも書く〕

(二)下半身や手先を保護する物を身につける。〔着くとも書く〕


「たび・くつ」と「下半身や手先を保護する物」という分類です。

漢字表記については、「基本的な表記は『穿く』で、靴の場合は『履く』とも書く」という、戦前からの流れを汲む書き方です。


それが、第四版(1989年)では次のようになっています。

は・く

[一]【履く】足を保護する物を足先につける。「足袋を―・靴を―」

[二]【〈穿く】下半身や手首から先を保護する物を身につける。「ズボンを―」


それまで「靴」は「穿く/履く」で足袋は「穿く」という扱いだったのが、靴・足袋ともに「履く」という扱いになっています。

これも意図的なものですね。


ここでちょっとずるいなと思ったのは、「靴下」について触れていないというところです。

「足袋」なら古い用例があると言えるので、あえてそちらだけ記載したということかもしれません。

「履」の字義

ここでいったん、明治より前の事情に戻ります。

江戸時代までは主流の書き方として使われてきた「履く」ですが、そのころの主な辞書類で「履」の読みとして「はく」が挙げられることはなかったようです。*7

どうして、実際に使われていた「履く」は冷遇されてきたのでしょうか。


それは、古代中国語(漢文)の「履」という単語に「はく」という意味がなかったからでしょう。

「履」の意味は、主に「くつ・はきもの」「ふむ」の二つです。


ここで少しややこしい事情があります。

「履」には「くつ」という意味があるのですが、これは動詞として「くつをはく」「くつをはかせる」という意味にもなります。

史記の留侯世家に「父曰履我」というところがあるのですが、この「履」は「くつをはかせる」という意味です。

古代中国語では、名詞がそのまま動詞として使われることが多かったようです。

このような品詞転換は、たとえば英語で "pin" という単語が「ピン留めする」という動詞としても使われるのに通じるところがあります。


しかし、この用法はあくまで「『履』をつける」というものなので、漢文の理屈としては「靴を履く」というのはおかしいということになります。

「はきもの」の表記

じゃあ、なぜ「履」が「はく」として使われるようになったのか。

ここで、「はきもの」の表記について考えてみます。


現代の感覚では、「履く物」だから「履物」だというのが自然に感じられます。

しかし、「はきもの」は元々「履」という漢字一文字に当てられる読みでした。

「履」は当時の中国語で「くつ」の意味なので、日本語にすると「くつ」や「はきもの」になるということです。


ですので、日本語の「はきもの」という言葉を書くときには「履」と書けば正しいはずです。

しかし、字義としては正しいのですが、これでは「くつ」との区別ができません。

そのためもあってか、「はきもの」は「物」をつけて「履物」と書かれたようです。

今昔物語集にも、「履物」表記が出てきます。

「はきもの」が「履物」であれば、「はく」は「履く」と書くのが自然です。


その後、「履物」表記は明治に至るまで使われ続けます。

言海にも、「はきもの」の漢字表記として採用されます*8


一方で、言海は「はく」に対する「履く」は認めていません。

一般にも「はく」は「穿く」と書かれていたので、この時代のものには「履物を穿く」という書き方が表れます。

しかし、「はきもの」が「履物」である以上、「はく」も合わせて「履く」としたくなるところです。

そのことが、その後の「履く」の復権に至ったのかもしれません。

用例

ここで現代に戻って、少納言というサイトを使って、最近の書籍等での使われ方を見てみます*9


靴をは(く等) : 221件

靴を履 : 150件

靴を穿 : 6件


靴下をは: 25件

靴下を履: 9件

靴下を穿: 5件


ズボンをは: 85件

ズボンを履: 8件

ズボンを穿: 18件


現状としては、靴・靴下を「はく」の漢字表記としては「履く」が優勢です。

ズボンは、漢字については「穿く」が優勢です。

しかし、「穿く」が当用・常用漢字表外になるズボンだけでなく、靴・靴下についても優勢なのは平仮名でした。

今後

今後、「はく」の表記はどうなるんでしょうか。


個人的には、「腰から下につける」という意味の「はく」にひとつの表記があったほうが日本語として便利だと思います。

明治から戦前にかけては、すべて「穿く」が使えたところです。

でも、「穿く」が支配しかけていたところに江戸からの「履く」が復権して侵食してきたという流れを考えると、今後統一される望みはなさそうです。


ネットで見る実態としては、「履く」はズボン・スカート類にもだいぶ進出しています。

直近では、(下品で申し訳ないですが)「トランクス女子を流行らせよう(提案)」のブコメ*10を見ても、本文では「穿く」が使われているのに、ブコメでは本文の引用以外では「穿く」は1個しかなく、それに対し「履く」は10個もあります。


しかし、ズボン・スカート類については「穿く」と「ちゃんと」書くことにプライドを持っている人はすでに多くいます。

それに、今後ツイッターなどで「正しい日本語」が拡散されやすくなるにつれ、「ズボン・スカートは『穿く』だ」という「知識」はいわゆる情報強者層にはどんどん広がっていくでしょう。


「はく」と平仮名で書くというのはこれまで多く行われてきたことなのですが、上のブコメを見てもわかるように、ネットでは平仮名表記はだいぶ少なくなっています。

そうすると、ズボン・スカートを「はく」というのも「履く」か「穿く」のどちらかになるのですが、前者は間違っていると思われ、後者は目に慣れないというジレンマがあります。


まあ、ズボン・スカートは最終的には「穿く」に収束するのでしょうが、せめて靴下類は「履く」に落ち着いてくれるといいなぁと思っています。

「靴下について『履』を使うのはおかしい」と言うなら、「靴をはく」に「履」を使うのもおかしいんですよね。

どうやっても妥協の産物になるので、どうせなら靴・靴下がひとまとまりのほうがいいんじゃないでしょうか。

(そうするとストッキングはどうなるという話になるのですが、まあ答えが出る問題ではないですね)

「はく」はひとつ

今さらですが、日本語の「はく」はひとつの単語だという当たり前の事実を確認しておきます。

「はく」という単語の意味は、言海の時代の「腰ヨリ下部ニ着ク」から変わっていません。

それをどう書くかが揺れているだけです。


しかし、あきれたことに、世の中には「はく」が二つの単語だと思っている人もいるようです。

高島俊男先生の言う、「健全な日本人」でない人ですね。


上に、日本人ならだれでもわかるように「とる」の意味は一つだ、と言ったが、「健全な日本人なら」と限定をつけたほうがよいかもしれぬ。漢字かぶれの日本人のなかには、「とる」の意味は一つではない、どの漢字を書くかによっていくつもの意味がある、別の語になる、と思っている者もいるかもしれないから。


今回、いろいろ辞書を調べるなかで一番あきれたのが「明鏡国語辞典第二版」です。

「穿く」の項目に、書くに事欠いてこんなことを書いています。

「履(は)く」と同語源。


同語源ってことは、今は別語ってことですか。

頭おかしいんじゃないですかね。


同語源の別語というのは、「読む」と「詠む」のようなものについては言えるでしょう。

「読む」と「詠む」は同語源ですが、現代語では別の単語なので、たとえば「彼は和歌を一首と本を一冊よんだ」とは言えません。*11


これを書いたのは何人か知りませんが、「ズボンと靴下をはく」とか「靴下と靴をはく」とか言わないんでしょうか。

まあ、実際はそこまで考えていないんでしょう。

漢字にくらまされて日本語が見えなくなっている


というやつですね。

嘆かわしいこと限りないですが、今後はこういう辞書が増えていくのかもしれません。

日本語のつながり

今では、「履く」と「穿く」を「ちゃんと」書き分けられるかどうかというのは、物を書く人間を判断するリトマス紙のようになってしまっているところがあります。

それはいいのですが、それに「漢字の意味」のような余計な解説を付け加える人も多くいるようで気になります。

この書き分けは歴史的経緯によるもので、「日本語の漢文からの脱却」の象徴的なひとつの例とも言えるようなものです。

「『靴をはく』は『履く』であって『穿く』ではない」というのも、時代が時代であれば、何をバカなことを言っているんだと漢学者にあきれられるところです。

「漢文は日本語の規範ではない」ということを前提に、この書き分けは成り立っています。


たまに、戦前の日本語を理想化して、戦後はその「古き良き日本語」から断絶してしまったように思ってる人がいます。

しかし、「漢文からの脱却」という流れで見ると、明治から戦前・戦後の日本語は一貫してつながっています。

「はく」について言うと、「はきもの」の表記として言海に「履」ではなく「履物」が採用され、大正〜昭和初期の国語辞典に「履く」が収録され、戦後の国語辞典で「穿く」から靴類の用例が削られるという、いくつもの段階を経て現状に至っているわけです。


最近「漢文脈と近代日本」という本を読みました。

そこから一節を引用します。

…私たちが立っているのは、漢文脈の秩序の外側に開拓された領野だからであり、それは、漢文脈的でないものを目指して開拓されたはずだからです。極端に言えば、漢文脈とは、いったんは捨てたはずのものです。そうであるならば、なぜ捨てたのか、それを捨てた私たちとは何であったのか、目を向けないわけにはいきません。


漢字クイズのようなものにゼロイチの答えを求めるよりも、こういう「日本語の来し方行く末」のようなことについて考えるということも、たまにはいいんじゃないでしょうか。

*1:「はく」には「太刀をはく」という用法もあるのですが、ここでは扱いません。

*2:省略すると社名のみになる場合を除き、「国語辞典」は省略しました。

*3:白話のことを便宜的に近代中国語と書きます。

*4:末尾にあるので、「漢用字」という扱いですが。

*5:強調はすべて引用者によるものです。

*6:「着」とは異体字の関係です。

*7:日本国語大辞典」によります。

*8:「漢用字」としては、一応「履」が書かれています。

*9:「書籍」と「雑誌」に限定しました。

*10:本文は消えています。

*11:「読む」に合わせて、書かれてある和歌を「読んだ」と解釈すれば言えないことはないですが、和歌を作ったという意味に取ろうとするとおかしくなります。