誰でもいい「からこそ」弱い相手を狙うという話

「『誰でもよかった』という犯罪者は実際には弱い相手を選んでいる」みたいなやつあるじゃないですか。

あれ、誰でもいい「からこそ」弱い相手を選ぶんですよ、という話です。

 

ちょっと想像してみましょう。

ある日、宇宙から電波が届いて、あなたに「何でもいいから生き物を殺したい」という強い衝動が生まれたとします。

もう、めっちゃ殺したくて、いても立ってもいられない。

さて、次の二つのうちで選ぶなら、あなたはどうしますか?

 

1. アリを探して踏み潰す

2. 動物園を探してライオンを殺す

 

そりゃ、1ですよね。

生き物なら何でもいいので、簡単なほうを殺すに決まっています。

 

次に、「何でもいいから哺乳類を殺したい」という強い衝動が降ってきたとします。

もう指が震えるぐらい。

さて、次の二つでは、あなたはどちらを選びますか?

 

1. 震える指で「猫 たまり場」と検索して、野良猫を何とか捕まえて殺して、人目を忍んで埋める

2. 通りすがりの人を包丁で刺し殺す

 

その後のことを考えたら、できれば1を選びたいところですよね。

 

そして、あなたは無事に野良猫を殺して、衝動を満たした快感を味わったとします。

無事に社会生活を送れていることに感謝していたら、今度は「誰でもいいから人間を殺したい」という衝動が降ってきてしまいました。

殺しさえすれば、「あの快感」がまた得られる。

あなたはどうしますか?

(良心の呵責から自殺する、とかいうのはここでは考えないことにします)

 

1. 小さな子供かお年寄りを殺す

2. ヤクザの事務所に行って包丁を振り回す

 

まあ、1ですよね。

ヤクザの事務所で包丁を振り回しても、「あの快感」が得られる見込みはほとんどないので。

  


 「衝動」と「理性」は排他的なものではない、どころか、「衝動」を満たすために「理性」を使うなんていうことは、普段いくらでもあります。

カレーの匂いを嗅いで、カレーが食べたくていても立ってもいられなくなった人が、ココイチのクーポンを持っていたことを思い出してココイチに行く、なんていうのもそうですよね。

この場合は満たしても問題ない衝動ですが、「衝動を満たす際に理性を働かせた」イコール「その行動の原動力は衝動ではない」ということにはならないわけです。


 なんで人間はこんな簡単なことがわからないのかというと、それは「処罰感情」ですよね。

「衝動に負けてこんなことをしてしまった」という言い訳を認めたくない、という。

 

じゃあどうすればいいかというと、「衝動に負けたからといっても、罪は罪として相応の応報を受けなければならない」と考えればいいわけです。

「哺乳類殺したい衝動」に負けて猫を殺したとして、それを見つかったら、動物愛護法違反で罪に問われます。

ここで、「冷静に殺しやすい動物を選んだということは理性があったわけで、衝動に駆られたというのは嘘だ」なんていう、衝動か理性かという誤った二者択一をする必要はありません。 


 ところで、「宇宙から電波が届く」とか、荒唐無稽な話でついていけない、という人もいるかもしれません。

さすがにそれはないにしても、次のような話はあります。

 

マイケル・オフトはバージニア州の教師で、以前に精神医学的にも逸脱した行動の経歴はなかった。40歳の時、その行動は突然変わる。彼はマッサージ店を頻繁に利用し、児童ポルノを集め、義理の娘を虐待し始め、すぐに児童性的虐待で有罪判決を受けた。オフトは小児性愛者のための治療プログラムを選択したが、それでもリハビリセンターのスタッフや他の患者に性的好意を求め続けていた。ある神経科医が脳スキャンを勧めたところ、眼窩前頭皮質の基底部に腫瘍が増殖して、脳の右前頭前野を圧迫していたことがわかった。この腫瘍が切除された後、オフトの感情、行動、性行動は正常なものに戻った。しかし、正常な行動は数ヶ月間までしか続かず、オフトは再び児童ポルノの収集を始めた。神経科医は彼の脳を再びスキャンし、腫瘍がまた成長していたことを発見した。2回目の腫瘍摘出手術をした後、オフトの行動は完全に通常のものになった。

神経犯罪学 - Wikipedia

 

こういう話が読みたければ、引用元のこの本がおすすめです。