「女のつらさ」と「イージーモード」——性的資源とコミットメントという観点から

男と女の釣り合い考──「女のつらさ」と「イージーモード」|琥珀色|note

この記事に対する言及です。

(無料のときに読みました)

お金を払ってまで読みたくないという人向けに要約すると「パッとしない女の知り合いがいて、そいつはイケメンに憧れてたんだけど、付き合ってもらうのは無理そうだったから性で誘ってやってもらって喜んでた。女はイージーモードだよな」という感じです。*1


まず、ヒトにおいては、多くの動物の場合と同じく、メスが希少資源だというところはいいでしょうか。

ベイトマンの原理 - Wikipedia

そういえば、「発情するブタを育てたら、ファンを許せるようになった」と言っていたアイドルの人もいましたね。


次に、道徳主義的誤謬と自然主義的誤謬について。


性の話で言うと、自然主義的誤謬というのは「ヒトのオスにメスを追い求める習性があるなら、それを自由に認めるべきだ」で、道徳主義的誤謬は「人間の男女は同じであるべきだ、よって性欲の性差もあるはずがない」とでもなるでしょうか。

言うまでもなくどちらも間違いで、「ヒトのオスには(平均的には)メスよりも強い性欲があるが、他者の権利を尊重するためにそれを抑えなければならない」あたりが妥当なところでしょう。

(ちなみに、昔は「他者」=「他の男性」だったため、他の男の財産である女に手を出すことには厳罰があっても、夫や父親といったよりどころのない女に対してはそうとも限らなかった、だが現代では言うまでもなく「他者」には女も含まれる、といった変化はあります)


さて、オスが求めるのがメスの「性的資源」だとすると、メスが求めるのは「コミットメント」だという話があります。

生存能力の優れたオスが自分と自分の子供に対して安定して(非性)資源を供給してくれることですね。

このあたりは、次の本が面白かったのですが、残念ながら新品はないようです。



ここまでが前置きです。

ここから記事への言及。


現時点でのトップブコメはこれです。

男と女の釣り合い考──「女のつらさ」と「イージーモード」|琥珀色|note

「釣り合いが取れなくてもセフレでいいならイケメンとやれるから女は得」って理屈が全然ピンとこないんだけど。文化の違いを感じる

2020/02/14 12:44
b.hatena.ne.jp


これは、メスが求めるのは「コミットメント」である、ということを考えに入れるとスムーズに理解できます。

メスにとっては、いくら相手の遺伝子が優れていても、コミットメントが得られないなら価値がないんですね。

(ここで、「優れたオスから遺伝子をもらいつつ劣った遺伝子を持つオスからコミットメントを提供してもらう」という戦略があるのですが、脇道になるので深入りしません)


わかりやすいように例を出しましょう。

優れた遺伝子を持つオスとしては(最盛期の)レオナルド・ディカプリオあたりがイメージしやすそうです。

さて、「ディカプリオと関係を持つ」ということは、女性にとってうれしい・名誉なことでしょうか。


これは、「状況による」。

コミットメントゼロの状況を考えてみましょう。

女性が、女友達に対して次のような話をしたとします。

「ディカプリオがお忍びで街を散歩してたから、ファンなんです! って声をかけて、いかにもやりたそうな雰囲気を出したんだけど、そうしたら汚い路地裏に引きずり込んでやってくれたんだ。避妊もせず、1分ぐらいで終わって、ズボンをはいてすぐ行っちゃったけど。」

この女性は女友達からうらやましがられるでしょうか?


まあ、普通はうらやましがられないですよね。

といった感じで、女性にとっては「ゼロコミットメントの性」は価値がないわけです。

(筆者は男性なので、女性からの異論があればお待ちしています)


性別を逆にして考えてみます。

優れた遺伝子を持つメスとしては、具体例を挙げると差し障りがありそうなので、一般的に○年に一度の美人と言われるような人をイメージするのがいいかもしれません。

さて、「そういう人と関係を持つ」ということは、男性にとってうれしい・名誉なことでしょうか。


これは、(女性にとって意外かどうかはわかりませんが)そうです。

男性が男友達に対して、上記の話の人物を入れ替えたような話をしたら、普通はうらやましがられるでしょう。

ただでとんでもなく貴重な資源を得られたという話になるので。


そういうわけで、「イケメンとやれる」というのは、普通の女性にとっては、全然いいことではないので、男性にそれをうらやましがられても困る、となるわけです。

(元記事で言及されている女性のように「いい相手とやれるだけでうれしい」という感性を持っていたら、女性のほうがイージーモードということになりますが、同性の共感はあまり得られないでしょう)


そういうわけで、男と女では「同じゲームをプレイしているように見えて、実際は違うゲームをプレイしている」ので、どちらがイージーモードというのは言いにくいのです。

サッカーのフィールドの選手が、キーパーに対して「ボールがよく回ってくるなんてうらやましい、イージーモードだね」と言うようなものじゃないでしょうか。


性別で他者をうらやんだりすることなく、お互いに尊重していきたいものですね。

*1:ひどい要約ですが、この記事の前提として必要最小限の要約として。