この話題、いろんな論点が混乱していてひどいことになってますよね。
ちょっと整理してみようと思います。
以下の6点について。
法律について
まず、現状として、「わいせつ物頒布等の罪」というのがあり、性表現は完全に自由ではありません。
この点について考えていきます。
性表現は自由だよ派
表現規制に一切反対という人もいるでしょう。
現状の法律(+判例)による規制も間違っている、ゾーニングも一切不要、という立場です。
一例として、「渋谷の大型ディスプレイで無修正AVを流す」というのもありということになります。
この派閥は、「渋谷の大型ディスプレイで無修正AV流してもいいよ派」と分類します。
(こんな感じで、派閥について端的な言葉で言い換えたり言い換えなかったりしていきます)
この派閥の人たちは、今回の案件とは別のレイヤーで話したほうがいいでしょう。
ここから下は、みなさんがこの派閥ではない、つまり法律については受け入れているということを前提とします。
法律の範囲内なら何してもOKだよ派
「わいせつ物頒布等の罪」の条文は曖昧ですが、とりあえず現状ではAV(表)は合法です。
「法律の範囲内なら何してもOK」という場合、一例として、駅のポスターでAVの広告を出してもいいということになります。
この派閥は「駅のポスターでAVの広告を出してもOKだよ派」としておきます。
この派閥の人たちも、現状とは違うという意味で、今回の案件とは別レイヤーでしょう。
法律の範囲内でも場によってふさわしいものがあったりなかったりするよ派
駅のポスターでAVの広告をOKだと感じないのであれば、それは「駅のポスター」という場で「AVの広告」というものが「ふさわしくない」と感じるということになります。
この派閥の人は「法律の範囲内でも場によってふさわしいものがあったりなかったりするよ派」としておきます。
ここから下は、みなさんがこの派閥であることを前提とします。
環境型セクハラ
今回の案件は、「公共空間で環境型セクハラしてるようなもの」という発言が発端となっているため、この論点についても整理しておきます。
ここでは、一般的な意味での環境型セクハラ、つまり職場での性表現について考えます。
環境型セクハラなんてないよ派
ここまで読んでいる人は、「法律の範囲内でも場によってふさわしいものがあったりなかったりするよ派」であるはずですが、「環境型セクハラなんてない」ということは、「職場は性表現を規制されるような場ではない」ということになります。
つまり、「職場でヌードポスターを貼ってもOKだよ派」とします。
さて、この派閥は、2019年の日本では認められていないと思います。
それが間違っているかどうかは置いておいて、現状と違うということで、ここでの議論からは除外します。
職場では法律レベル以上に性的な表現が規制されるよ派
上記を除いた残りです。
「ないよ派」では極端な例としてヌードポスターを挙げましたが、この派閥の基準はひとつには決まらないでしょう。
「性的な表現がされていて」「職場にそれを苦痛に感じる人がいる」のであれば、それは環境型セクハラと言えるでしょうが、例えば完全な球体のオブジェについて「性的に感じて苦痛だからやめてくれ」というのは通りませんが、ヌードポスターなら完全に黒、といった具合にグレーゾーンがあるので、こういった書き方にしています。
ここから下は、みなさんがこの派閥であることを前提とします。
献血が増えたらいいのか
この論点もよく見るので、取り上げておきます。
献血が増えるなら何をやってもいいよ派
ここまで読んでいる人は「法律は大事だよ派」のはずです。
ですので、「献血が増えるなら何をやってもいい」ということは、「献血が増えるなら(法律の範囲内で)何をやってもいい」ということになります。
さて、上で述べたように、AVは法律の範囲内です。
つまり、この派閥の人は「献血が増えるならAVで人を呼んでもいいよ派」ということになります。
これが現状にマッチしているかどうかの判断は保留しますが、宇崎ちゃんポスターがダメだという人とこの派閥の人が話すのはレベルが違いすぎて不毛だということは言えるのではないでしょうか。
というわけで、今回の案件の話からは除く(ダメだと言っているわけではなく、「献血が増えるならAVで人を呼んでもいいのかどうか」という場で話す)ことにします。
宇崎ちゃんポスターは性的なのか
今回の案件で中心となる部分です。
宇崎ちゃんの絵はすごく性的だよ派
例の宇崎ちゃんポスターはコミックス3巻の表紙から取られています。
ということは、本屋に陳列されているということになります。
以前ラノベの表紙の巨乳表現が話題になったことがありますが、この絵についても、本屋という公共の場にふさわしくないほど性的だと考える人もいるでしょう。
この派閥の人は、「宇崎ちゃんを置ける現状の本屋は間違っているよ派」とします。
さて、現状としては、宇崎ちゃんのコミックスは本屋で売られています。
この現状が問題だと思う人は、今回の案件ではなく、ラノベ表紙の話題で話したほうがいいと思います。
というわけで、ここから下は、みなさんが「宇崎ちゃんの絵は本屋にあってもいいよ派」であるとします。
宇崎ちゃんポスターは性的じゃないよ派
性的かどうかというのは難しい話ですが、ここまで読んでいるみなさんは「職場では法律レベル以上に性的な表現が規制されるよ派」ですので、職場での許容レベルを例に考えてみます。
例えば、職場の同僚Aが例の宇崎ちゃんポスターを人目につくところに貼っていたとして、同僚Bがそれを苦痛だと訴えたとします。
あなたは同僚A側につくでしょうか。
宇崎ちゃんポスターが完全な球体のオブジェ並みに性的でないと思うのであれば、同僚A側につくことになります。
この派閥の人は「職場で宇崎ちゃんポスターを貼ってもいいよ派」とします。
宇崎ちゃんの絵は本屋には置いてもいいけど職場では許容されない程度に性的だよ派
前二者を除いた残りです。
ここでは一旦、みなさんがこの三つのうちのどの派閥であるかは置いておきます。
献血の場での性表現
今回の案件の始まりとなった「献血の場」での話です。
とりあえず、「献血車の中」や「配布するポスター」の話は置いておいて、ここでは発端となった「献血募集のために公共の場で貼られるポスター」についての話とします。
(「献血車の中」や「配布するポスター」についてはここでの話の対象外とするということであり、話をしてはいけないということではありません)
献血の場での性表現は職場での性表現同様かそれ以上に規制されるべきだよ派
ここまで読んでいるみなさんは「献血の場にはふさわしいものがあったりなかったりするよ派」ですので、「献血募集のために公共の場で貼られるポスターではある程度のレベルの性表現が規制される」ということには同意いただけているはずです。
ここでは、そのレベルが職場での性表現規制レベルと比べてどうかということを考えます。
献血の場での性表現は職場での性表現同様かそれ以上に規制されるべきだという考えの場合、例えば女性の水着写真などもダメということになります。(職場で女性の水着写真がダメであるとして。私はそうだと考えています)
この派閥の人は、「献血の場で女性の水着写真を使うのもダメだよ派」としておきます。
ここでは、みなさんがこの派閥かどうかは特に前提としません。
国ごとの性表現規制
今回の件は、アメリカ人男性のツイートが発端でした。
日赤「宇崎ちゃん」献血PRポスターは"過度に性的”か 騒動に火をつけた米国人男性に聞いてみた | 文春オンライン
この件にも、国ごとの性表現規制の違いが絡んでいるのかもしれません。
まとめ
ここまでの話をまとめた図を示します。
─┬ 渋谷の大型ディスプレイで無修正AV流してもいいよ派(除外)
├駅のポスターでAVの広告を出してもOKだよ派(除外)
└法律の範囲内でも場によってふさわしいものがあったりなかったりするよ派
─┬職場でヌードポスターを貼ってもいいよ派(除外)
└職場では法律レベル以上に性的な表現が制限されるよ派
─┬献血が増えるならAVで人を呼んでもいいよ派(除外)
└献血の場にはふさわしいものがあったりなかったりするよ派
─┬宇崎ちゃんを置ける現状の本屋は間違っているよ派(除外)
├職場で宇崎ちゃんポスターを貼ってもいいよ派
└宇崎ちゃんの絵は本屋には置いてもいいけど職場では許容されない程度に性的だよ派
─┬献血の場で女性の水着写真を使うのもダメだよ派
├献血の場でデンキ街の本屋さん13巻のポスターを使ってもいいよ派
└献血の場でのラインは水着写真とデンキ街の本屋さん13巻の間のどこかにあるよ派
─┬日本と性表現規制レベルが違う国は間違っているよ派
└性表現規制は国情に合わせていろいろであっていいよ派
(なお、ここで取り上げていない論点として、性的特徴の強調といったものがありますが、それは「ふさわしさ」に関する議論として、ここでは深入りしていません。それについては、『宇崎ちゃんは遊びたい!』献血ポスター問題を考える - 紙屋研究所が参考になるかと思います)
この話をするみなさんは、「自分はこの派閥だよ」と書くというのはいかがでしょうか。
まず、議論から除外した派閥は以下のようになります。
- 渋谷の大型ディスプレイで無修正AV流してもいいよ派
- 駅のポスターでAVの広告を出してもOKだよ派
- 職場でヌードポスターを貼ってもいいよ派
- 献血が増えるならAVで人を呼んでもいいよ派
- 宇崎ちゃんを置ける現状の本屋は間違っているよ派
これらの派閥は、宇崎ちゃんポスター案件で話すのには適当でない(それぞれ別の場で話すのがいい)のではないでしょうか。
それ以外の派閥は、前提として「法律の範囲内でも場によってふさわしいものがあったりなかったりするよ派」「献血の場にはふさわしいものがあったりなかったりするよ派」、「宇崎ちゃんの絵は本屋にあってもいいよ派」であるという前提で、「宇崎ちゃんについて」「献血の場でのライン」についてそれぞれ意見が分かれるということになります。(「国ごとの性表現規制」については、ちょっと置いておきます)
例えば、「私は職場で宇崎ちゃんポスターを貼ってもいいよ派・献血の場でデンキ街の本屋さん13巻のポスターを使ってもいいよ派だから今回のポスターを問題と感じない」、または「私は宇崎ちゃんの絵は本屋には置いてもいいけど職場では許容されない程度に性的だよ派・献血の場でのラインは水着写真とデンキ街の本屋さん13巻の間のどこかにあるよ派で、そして私は宇崎ちゃんポスターはそのラインを超えていると思う」といった具合です。
もちろん、派閥を分けたからといって問題が解決されるわけではありませんが、話し合い(またはその断念)のためのスタート地点にはなるのではないでしょうか。
例えば、「渋谷の大型ディスプレイで無修正AV流してもいいよ派」と「宇崎ちゃんを置ける現状の本屋は間違っているよ派」が直接対話しても得られるものは少ないでしょう。
私の狙いは、そういう不毛なすれ違いを防ぎたいというものです。
最後に、「国ごとの性表現規制」について。
ここで「日本と性表現規制レベルが違う国は間違っているよ派」を選ぶ人はある意味楽なのですが、「性表現規制は国情に合わせていろいろであっていいよ派」を選ぶ人は、「宇崎ちゃんポスターについて自分と反対の立場にある人も日本の国情の一部を構成している」ということを念頭に置く必要があると思います。
みなさんの立場はいかがでしょうか。
私の立場
さて、こういう文を書くからには、自分の立場を表明することが求められるのではないかと思います。
しかし、私自身は不快な表現というものが一切ないため、この問題については半分しか当事者ではありません。
そのあたりについては、表現規制についての思考実験について詳しく書いたので、そちらを参考にしてください。