責任と対策の分離
通常の場合、何かの問題に責任のある人がいる場合、その人に何とかしてもらうのが筋です。
それが原則です。
ただ、責任のある人が多数である場合など、その人たちに何とかしてもらうことが難しい場合、発想を「責任」から「対策」に切り替える必要があります。
はい、ちょまど氏の件です。
確かに、ちょまど氏は合法手しか打っていないので責任はありません。
責任はちょまど氏をアイドル扱いする側にあります。
ただ、「アイドル扱いをやめろ」「人間扱いしろ」という言葉で、問題が魔法のように解決するというわけではありません。
さて、ちょまど氏がこの状況を意識的に作っているなら、合法手だけを打っているちょまど氏を止める方法はありません。
でも、ちょまど氏は本当にこの状況を望んでいるの? というのが、前記事の問いかけでした。
ちょまど氏がこの状況を望んでいないのであれば——もちろん、ちょまど氏には何の責任もないのですが——この状況を変える鍵はちょまど氏にあるのではないか。
というのが、私の考えです。
で、ちょまど氏が望んでいないのであれば、という前提で。
そうであれば、ちょまど氏は現状分析ができていないと思われます。
(できていれば、今の行動になっていないはずなので)
だから、現状分析(表層意識で意図していなくても、結果としてチヤホヤされる行動になっている)を提供しようと思ったわけです。
で、なぜその表層意識と行動のずれがあると私は考えているか。
そこで初めて、男性恐怖の話が出てくるわけです。
整理すると、以下のようになります。
1. ちょまど氏は今の状況に対する責任はない。
2. よって、ちょまど氏が今の状況を望むなら、誰もそれに干渉できない。→終わり
3. ちょまど氏が今の状況を望んでいないのであれば、行動を変えるという選択肢がある(変えなければそのまま)。
4. 行動を変えるという選択肢を選ぶ場合、現状分析が必要なので、私なりにそれを提供したい。
5. 私なりの現状分析は、ちょまど氏の表層意識と潜在意識にずれがあるというものである。
6. その原因は、ちょまど氏の男性恐怖である。
つまり、3 の前提が外れている場合(ちょまど氏が今の状況を望んでいる)や、4 の前提が外れている(行動を変えるという選択肢を選ぶつもりはない)のであれば、前の記事は「見当違いかつお節介」でしかなかったわけです。
そこは賭けなのでしょうがないですね。
私としては、3 と 4 の前提が当たっている(ちょまど氏は今の状況を望んでおらず、何かそれに対してできることがあるならしたいと思っている)ことを願っています。