えーっと、これまで何百回も書かれていることで、今さら自分が何か付け加えることもないのですが。
(じゃあ書くなと言われそうですが、当たり前のことを繰り返し書くために書きます)
「子ども」は「交ぜ書き」じゃありません。
「子ども」は「交ぜ書き」じゃありません。
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「交ぜ書き」というのは、普通「漢語」についていいます。
「漢語」、つまり音読みの漢字からなる言葉です。
「いや、音読みとか訓読みとかはどうでもいい、交ぜて書くから交ぜ書きだ、だから『子ども』も交ぜ書きで、交ぜ書きには一切反対だ」とおっしゃる人もいるかもしれません。
そういう人はどうぞご自由に。
ただ、その基準で言うと「お昼」「お湯」なども交ぜ書きなので、同じぐらいの情熱で「御昼」「御湯」を推進してくださいね。
そもそも、「子ども」表記は戦前からあります。
この本は大正四年の大人向けの翻訳書ですが、それでも「子ども」と書いています。
和語をどれだけ漢字で書くかというのは昔から書く人によってさまざまです。
たとえばこの文では「気まま」というものもありますが、「気儘」という書き方もできます。
重要なポイントは、戦前だからといって、みんな必ず「きまま」を「気儘」と書いていたというわけではないということです(昔の文章を読まない人はそういう風に考えるかもしれませんが)。
その割合は時期によって違うのですが、「こども」という言葉を書くのに「子ども」は可能な選択肢のひとつであり、戦後になってから作り出された熟語の交ぜ書きとは違います。
「子ども」表記についてこれまで見たいくつかのくだらない意見に対しての Q&A を書きます。
常用漢字表にある漢字はすべて漢字にするべきだ。
へぇ。
常用漢字ってそんな性質のものだったんですか。
知りませんでしたが、じゃあ「『ごはん』は『御飯』と書くべき、『ご飯』表記許すまじ」という運動も頑張ってくださいね。
「子供」の「供」に「お供」の意味はない。
そうですね。
俺は「子供」を使う。誰にも何とも言わせない。
はい。
「『子ども』表記を使え」と強制してくるバカがいる。
へぇ。
バカですねぇ。
で、あなたは?
「子供」表記を使えって?
ふーん。
交ぜ書きは日本語を破壊する。
へぇ。
前に書いた通り、「子ども」のような和語の交ぜ書きはずっと前からあるんですけど。
いつの日本語が「破壊されていない」日本語だったんですか?
あ、そういえば昔は日本の公式な文書は漢文でしたね。
勉強頑張ってください。
ちなみに、個人的には「子供」と書きますが、特にこだわりはありません。
最近の日本語表記についてはいろいろ思うところがあって長文を書いたこともあり、日本語にとって幸せな表記が実現すればとは思っていますが、「子供」の「供」は意味を担う部分でもないし、「子ども」と書こうと「子供」と書こうとどうでもいいとしか。
最後にアフィリンクです。
あてつけのようですが(その意図も少しはありますが)、この本は実際に読んで良書だと感じました。
嘘や皮肉を題材として、それらの背後にある心の理論や、それらを子供が身につけていく過程を詳しく伝えています。
表記に関してですが、もちろん漢語の交ぜ書きはありません。
(もっとも、ここ数十年の本でそんな交ぜ書きがあるほうが珍しいのですが)
少しでも本を読んでいる人なら、「子ども」も「子供」も表記のバリエーションだとわかっているはずなんですけど、いったいどういう人が「『子ども』表記は日本語の破壊」だなんて言っているんでしょうねぇ。