なぜ誤訳指摘をしたか

善意のひどい訳についてについての補足を書く。


まず、「なぜ指摘を公開でやったのか」ということから。

「アスペ日記」というタイトルで日記を書いてはいるけれど、「こんなふうに誤訳指摘したら気ぃ悪い(感じ悪い)*1よなぁ」ぐらいの感覚はぼくにもあった。

じゃあ、なぜそうしたか。

その理由を箇条書きしてみる。

この記事を書くことで、id:ymotongpoo さんの傷口に塩を塗るようなことになるかもしれないけれど、許してもらえればと思う。

1. 翻訳記事の読み方について考えるきっかけになると思った。

元記事は、ぼくが最初に見たときは100ブクマも行っていなかったと思うけれど、みるみるうちに伸びて、300ブクマを超えた。

あれだけ誤訳の多い記事が、ただ漫然と消費される様子に疑問を持った。

日本語だけ読んでもおかしなところがある(指摘箇所を見てもらえばわかると思う)翻訳なのに、みんな適当に目を滑らせて、何となくわかったつもりになって、それでいいのか?

誤訳を指摘することで、それに一石を投じてみたかった。

2. 体感英語力と翻訳の実力に乖離があると思った。

記事を見たあとで id:ymotongpoo さんについて調べてみると、東京大学修士課程を修了し、Google で働いているらしいということがわかった。

ということは、英語の論文もそれなりに読んでいるだろうし、仕事でも毎日英語を使っているだろう。

そうなると、本人の体感英語力は相当高いだろう。

しかし、翻訳は明らかに誤訳が多い。

「英語を使って生きていく能力」と「英語を間違えずに解釈する能力」は別なんだろう。

これは気づきにくいことで、ぼくもあまり意識していなかった。

そのことについて書こうと考えていた(が、結果として元記事ではそこまで書けていない。推敲が足りなかった)。

3. 翻訳はコンパイルエラーのような形で誤訳がわからないから。

コードであれば、書いた内容に間違いがあれば、コンパイルエラーといった形でそれがすぐにわかる。

しかし、翻訳の場合、訳し間違いがあっても本人にはわからない。

だから、本人にわかる形でフィードバックをしようと思った。

これだけでは公開でやる理由にはならないが、4以降で補足する。

4. 公開で指摘することで、ほかの人の参考にもなると思った。

どういうところで間違えているかというのは、当然ほかの人の参考にもなるはずだ。

実際、ブコメで参考になると言ってくれている人もいた。

5. 誤訳箇所があまりにも多かったから。

これを最後に持ってくるのは本当に感じ悪いとは思うけれど、嘘をつくよりは実際のところを書く。

誤訳を指摘しようと思ったのは 4 までの理由だが、この誤訳密度で修正箇所を訳し直すと、原文の相当な割合を翻訳することになる。

それなら、ぶつ切れで翻訳するより、全体をいったん自分のバージョンとして訳し直したほうが楽だ。

それと突き合わせて誤訳を指摘することにした。

さて、そうなると訳し直したバージョンがもったいない。

日本語としてこなれてはいなくても、内容を理解して読めるものにはなっているはずだ。

それを公開することで、誰かの役に立つかもしれない。

この動機は、id:ymotongpoo さんが最初に公開された動機と同じだろう。

しかし、id:ymotongpoo さんを傷つけないということと、訳し直したバージョンを公開するということはどうしても両立しない。

それで、申し訳ないが後者を優先した。

それがアスペ的だと言われたらそうかもしれない。

言葉遣いについても配慮が足りなかったかもしれず、申し訳ない。


ところで、ぼくは「完璧な翻訳でなければ公開するな」とは言っていない。

ぼくだって完璧な翻訳なんてできない。

でも、5ページ(PDF版)の文章に(修正箇所を含めると)32箇所の誤訳というのはちょっと多いんじゃないかと思った。

普段から、(引き合いに出して申し訳ないが)江添氏の翻訳などは読んでいるが、そこまでのことは普通はない。


ところで、この件に関しては非常に不愉快なことがあった。



へぇぇ。

このタイミングで言うんですか。

「この人達」って、id:ymotongpoo さんとはつながってるんだから、その前に記事がバズってたときにいくらでも言う機会があったと思うんですけどねぇぇぇ。

これが、アスペでない人間にはあるという雰囲気を読む能力ですか。

いやぁ、ついていけないっすわ。

(吐瀉音)



>原著者の意向を歪める事を極力避けたいことを強調されるこのブログの方は

>原著者の意向を歪める事を極力避けたいことを強調されるこのブログの方は

>原著者の意向を歪める事を極力避けたいことを強調されるこのブログの方は


すごい!!!

こう書けば、仲間は非難せずにぼくだけを倫理的に非難できると。

高等技っすねぇ。

(吐瀉音)


ぼくは確かに雰囲気を読む能力が欠けているところがあるので、日常生活での行動は周りの常人を見習ってやっている。

道路標識に50キロ制限と書いてあっても、周りの車が時速70キロで走っていたら時速70キロで走る。

そんな感じだ。


例の記事も、かなり古い伝説的な文書で、元記事の人が何も書かずに翻訳していて、300ブクマぐらいの間誰にもツッコミを入れられていないので、あぁ人間的にはこれはオッケーなのかなと思ってぼくもそのまま公開した。

いやぁ、しかしまさかぼくだけ倫理的に非難する裏技があったとは。

そこまでは思いつかなかったなぁ。


で、調べてみるとこのファイルはPlan 9のソースに含まれているようで、Lucent Public License version 1.02 が適用されるようだった。

一応追記しておいた


id:ymotongpoo さんも追記しておいたほうがいいかもしれないですね。

いやぁ、ゴミが同じことをしたせいで手間をかけさせて申し訳ないですね。

*1:関西に住むうちに中途半端に関西弁がうつった。