翻訳の品質管理

日本に住んでいると、あらゆる物・サービスの品質が高いレベルで保証されていることが自然に期待できる。

そんな日本にいて、唯一*1品質に信頼がおけないものがある。

それが「翻訳」。


高校生ぐらいのころ、英語の本と日本語訳を読むようになって、そのことに気がついた。

最初の経験は「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のノベライズ。

バック・トゥ・ザ・フューチャー (新潮文庫)
ジョージ・ガイプ
新潮社
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最初に英語版を読んでから、この日本語版を読んだ。

翻訳は全体として非常に読みやすい。

だが、ところどころ明らかに英語と違い、そのために意味が通らなくなっているところがある。

原文と突き合わせてみると、明らかな誤訳だ。

本というものに対して、ある種の権威を感じていた自分にとってはショックだった。

(その後、誤訳は直ったのだろうか?)


その後も、ひどい翻訳には数え切れないぐらい多く出会ってきた。

その多くは、原文と突き合わせるまでもなく誤訳だとわかるものだ。

今でも忘れられない誤訳のひとつに、インナーチャイルド―本当のあなたを取り戻す方法という本の次のような一節がある。

…からはなんと遠い叫びでしょう

遠い叫び

これはひと目でわかる、"what a far cry from ..." の誤訳だ。

"far cry" というのは「大違い」という意味なのに、その意味が取れていない(意味が取れていてこう訳したなら、ひどい怠慢だ)。

(1993年発売のこの本は、2001年に同じタイトルで改訂版が出ていて、岩波文庫の場合と違い、ISBN も振り直されている。翻訳の改善をしたのだろうか。)


最近ぶつかったものでは、統計学を拓いた異才たち―経験則から科学へ進展した一世紀(単行本)がある。

この本は、細かいものも入れれば、1〜2ページに 1個ぐらい誤訳があるんじゃないだろうか。

原著も買ったので比べてみて、誤訳に付箋を貼ってみようとしたこともあるが、キリがなさそうなので途中でやめた。


一部を挙げると、次のようなものがある。

実際の統計モデルは数学的モデルなので、読者は数学公式や記号のみで完全に理解することができよう。本書は大それたことをしようと試みるほど意欲的なものではない。

(まえがき xページ, 2-3行目)

読んで意味がわかるだろうか? 前後がまったくつながっていない。

原文は、次のようなものだ。

Because statistical models of reality are mathematical ones, they can be fully understood only in terms of mathematical formulas and symbols. This book is an attempt to do something a little less ambitious.

比較のため、元の訳文をできるだけ使って試しに訳すと、次のようになる。

実際の統計モデルは数学的モデルなので、完全に理解するためには数学公式や記号を使う必要がある。本書のしようとしていることはそこまで大それたことではない。

元の訳文を見ると、only の解釈を間違えているようだ。

この程度の最低限の感覚がないということだろうか。


また、同じページの 7行目から。

本書の読者は科学データの統計解析に対する十分な知識は持っていないだろう。

原文。

The reader of this book will not learn enough to engage in the statistical analysis of scientific data.

訳し直し。

この本を読んでも、科学データの統計解析に従事できるようになるほど十分な知識を身につけることはないだろう。

本当にキリがないのでこのくらいにするが、どれだけ誤訳まみれかということが伝わればと思う。

レビューにも、次のようなものがある。

しかし翻訳が悪い.何度読み直しても意味がわからないところがあるのだ.原文ではどうなっているのだろうと原書を読むと,きわめて平易に書かれてある.


ちなみに、この本は文庫版が出ているが、少しは改善されているんだろうか?*2

統計学を拓いた異才たち(日経ビジネス人文庫)
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この本の訳文の品質も問題だが、本当の問題は、この程度のひどい訳書は世にあふれているということだ。

主観的には、訳書の少なくとも 2割ぐらいはこのレベルだと感じている。

これがほかの製品だったらどうだろう。

コップを買ったら 5個に 1個は不良品で、使っているうちに水が漏れるというようなものじゃないだろうか。


誤訳批判に関しては、別宮貞徳という方が有名で、何冊も著書を出している。

特選 誤訳・迷訳・欠陥翻訳 (ちくま学芸文庫)など。

もちろん、そのような指摘は必要なことなのだろうと思うし、今後も後を継ぐ人が現れてほしい。


だが、ひどい翻訳が次々と世に出てしまうということには、品質管理の欠如という問題があるんじゃないだろうか。

翻訳の質が訳者の良心頼みだということ。

良い訳者に当たれば良い翻訳が出る。裏を返せば、そうでない訳者に当たれば悪い翻訳が出てしまうということだ。

一般的な製品の品質管理のように、訳文をサンプリングして内容をチェックするということはできないんだろうか?


翻訳業界については何も知らないけれど、IME と似たようなところがあるように感じる。

あるべきものでない結果を出しても、表面的にそれらしければ問題にならない。

誤訳だらけの訳文でも、文体を柔らかくしたら、その上に目を滑らせることはできる。

『アインシュタイン その生涯と宇宙 下巻』誤訳騒動ぐらいのレベルにならないと、問題にもされない。


この状況がどうやったら改善できるのかはわからない。

前の記事に書いたような、人間の言語に対する鈍感さに根ざしていて、何百年たっても改善できないたぐいの問題なのかもしれない。


電子書籍というのがひとつのきっかけになるかもしれないと考えたこともある。

少なくとも著作権の切れたものに関しては誰でも翻訳ができるので、ゲリラ的に翻訳された多くのバージョンの中から、良いものが読者の評価によって浮かび上がってくるような世界が現れるかもしれない、と。

でも、自分でやってみた結果、失敗だったと結論付けてもいいと思う。

かなりえげつなく、自分でも嫌になるぐらいに宣伝をしたけれど、評価以前に、手に取られる(クリックされる)こともほぼなかった。

電子書籍で何かの図式が変わるということは、基本的にないんだろう。


翻訳というものは、どうやったら幸せな形になるんだろうか。

*1:気づいていないだけで、ほかにもあるかもしれないけれど、主観的には。

*2:追記: 改善されていませんでした。