いい話(W社を辞めました)
(2015/09/01追記:この記事は私がW社に在籍した2013年4月から2014年4月までの間の個人的な経験に基づくものです。就職の参考にされる方は、その後W社の社風や開発者の扱いに変化があったかどうか等についてご自身で最新の情報を得ていただければと思います。)
(2019/08/17追記:社名を「W社」に置換しました。)
記事タイトルの通り、W社を退職したので、退職エントリを書く。
(最近雑文に対していろいろと予防線を張ることが流行っているらしいので、一応これもポエムだと書いておく。役に立つことは書いていない)
今日が最終出社日だった。
ちょうど 1 年ぐらい勤めたことになる。
2 社連続で 1 年で辞めたことで、自分が社会不適合者であることが誰の目にも明らかになってしまった。
これから先の人生の見通しは暗い。
その間に子供が生まれたのだが、不憫でたまらない。
いい話というのは、Google を辞めたりして調子に乗っていた*1ろくに技術力もない人間が、落ち着くべき末路に落ち着いたという意味でのこと。
(Googleに勤めていたことを書くと過去の栄光にすがる情けない人になるので普段は書かないが、今回は転落人生というコンテンツ性のために書く)
仕事
W社というのは、よく知られているウェブサービスの会社。
ぼくは就活力がゼロなので、ツイッターで募集しているのを見て、それで受けて決めてしまった。
W社では、いくつかのプロダクトに関わった。
どれも、それによって誰かの利便性を上げられると感じられるという意味でやりがいがあった。
少なくとも、自分の信条に反するものを作っているということはなかった。
W社に応募したときは、「自分には自然言語の関わる仕事しかできない」という思い込みがあったけど、結果的に自然言語処理とまったく無関係の仕事でそれなりに成果が出せたので、そういう意味では今後の就職活動で自信が持てるようになったと思う。
人間関係
ここからが本題。
W社の開発グループは数人しかいないのだが、先輩が「実質上司」としての役割を果たしていた。*2
実質上司のひとりは威圧的で、彼の好み(彼の中での宇宙の真理)に外れる書き方をすると、コードレビューで直すように言われた。
プログラマ以外にはわからないかもしれないが、屈辱だった。
たとえば、キャプチャしない正規表現について、(?:) ではなく () と書くように言われたことがある。
それは、ぼくにとって(数多くある)辞めた理由のひとつだ。
長いけれど、ぼくの日記から引用する。
ぼくは、キャプチャしない正規表現を (?:) でなくただの () で書くようレビューで高圧的に言われたとき、今の職場を辞めることを決意した。(まだ辞められていないのは純粋にぼくが無能なせいだ)
キャプチャしない正規表現を () で書くこと自体は、そこまでの悪じゃない。
ぼくも昔はそう書いていたし、(?:) を知ってからも使い続けていたし、今でもワンライナーならそう書くかもしれない。
しかし、そう書くことを強制されるというのは、まったくの別問題だ。
それは人間としての尊厳に関わることだ。
「() で書いたほうがシンプルで読みやすい」と言われたら、確かに理がないわけではない。
でも、そのトレードオフで、そのいわゆる「読みやすさ」を重視することを選ぶ根拠、それを押し付けられる根拠は何だ? ということを突き詰めたら、相手のほうが「偉い」という「権力」しかない。
権力で押さえつけられるというのは、奴隷の立場であるというのと同じことだ。
子供がいなかったら、その日のうちに辞めているところだ。
いくら貧乏で、辞めたら餓死する状況でも、隷属してまで生きる価値のある人生なんてあるものか。
(もちろん、正規表現の件はひとつの例にすぎない)
人間性もひどかった。
隣の席の同僚が実質上司のコードレビューをしたとき、少しプログラムの構造に関わることを指摘したといって、誰が見てもわかるぐらい感情的になって怒っていた。
普段、自分基準で異常に細かいコードレビューをしていることを完全に棚に上げて。
また、別の実質上司は、何よりも「100 % の安全」を重視する性格だった。
MIT ライセンスの JavaScript 外部ライブラリを使おうとすると、「使っても問題ないか調査してください」と言われ、またできれば外部のものは使わずに実装してほしいと言われた。
そんなよくわからないものを使って訴えられて大変なことになったらどうするんだ、という雰囲気だった。
そのときのツイートがこれ。
ところで、会社には実質上司よりも偉い創業メンバーたち(以下「偉い人」とする)がいる。
ライセンスの件は、偉い人が問題ないと決めてくれたおかげでなんとかなった。
何をするにも、実質上司たちの頭越しに偉い人たちと話をしないと、バランスの取れた行動ができない。
幸い、偉い人たちは話の通じる人たちだったので、その点ではよかったのだが。
一番クソだと思ったのは、偉い人たちからプロジェクトを引き継いだときのこと。
偉い人たちはベンチャー気質が残っているので、効率と安全というバランスはかなり効率寄りだった(要するに、多少いい加減だということ)。
で、引き継いだぼくが同じやり方でやろうとすると、実質上司たちにボロクソに叩かれる。
そこでぼくが思ったのは、次の二つ。
1. 偉い人たちがやっていたやり方が会社にとってよくないと思っていたんだったら、偉い人たちに対しても諫言するべきだったんじゃないのか?
2. バランスを効率側に倒して会社にとってよくないことになったとしても、その影響を一番受けるのは偉い人たちなのに、実質上司たちは何の権限があって彼らと違うバランス感覚で判断をしているんだ?
もちろん、わかってみると理由は簡単だ。
彼らにとって、意見を言うことは「逆らう」ことなので、彼らよりも「上位」の存在のやり方に意見を言うなんて論外だけど、自分よりも「下位」の存在に対しては自分たちが支配できるということだ。
長い間ヒトとして生きることができていたぼくは、すっかりそういうサル的行動については忘れていた。
まあ、ぼくがこれまで運がよかっただけなんだろう。
人間にそういう面があるということは、ぼくだって聞いて知っていた。
ただ、ぼくが最初に勤めた会社も、二番目に勤めた Google も、そんな権力関係みたいなものとは縁のない世界だったから、あまり実感がなかったというだけだ。
あまりにも保守的なため、新しいものが何も使えない。
雰囲気がギスギスしているので、改善の提案もなかなかできない。
間違えたら元に戻すのが大変だという理由で、プログラミングにもいろいろな制約があった。
息が詰まりそうだった。
もちろん、愚痴を言うだけではしかたがないので、ぼくもいろいろ行動した。
指さし確認的・精神論的な「安全性」から脱却するために、多少なりともテストの自動化をしたり、先進的なバージョン管理システムの導入を推進したりした。
最終的には、前よりもずっと変更を加えやすい状況にすることができた。
でも、それらはもちろん、偉い人や同僚の助けを借りてやらなければいけなかった。
健全さやバランスを志向する精神性が実質上司たちにはないので、ぼくひとりでは何もできない。
政治的にやることはできたし、実際に少しはやったわけだけど、空しかった。
何をどう変えようとしても、また変えても、根本的な「文化」が変わらない、また変えられそうな見込みもない。
人間関係について、飲み会で偉い人のひとりと話をしたこともある。
すると、「人が辞めることによって人間関係が変わることもあるし、固定的ではない」と。
冗談じゃない。
実質上司たちは、辞めるどころか周囲を辞めさせる側じゃないか。
W社にいたことで、ぼくはそれまでプログラマとして当たり前だと思っていたいろいろなことの大切さを再確認できた。
技術的な健全さを目指す長期的な方向性。
健全な方向性を実現するための好奇心・向上心。
好奇心・向上心を保証するための余裕。
人として対等な、信頼のある人間関係。
でも、実質上司たちが間違っているかというと、必ずしもそうではないのかもしれない。
W社のサービスはすでに完成されていて、何よりも大事なのは「今あるものを変えない」という銀行的発想なのかもしれない。
そう考えると、間違っていたのはマッチングということになる。
(実質上司たちとは面接で会わなかったので、マッチングに必要な情報を得ることができなかったのは今でも残念だ)
興味
偉い人との話では、技術力のある会社の話題になったこともある。
レシピサイトやイラストサイトなど。
そのとき、「じゃあ、そういう会社に行きたいと思う?」と聞かれた。
それに対してぼくは、「いや、料理もイラストも好きじゃないので」と答えた。
すると、大笑いされた。
そういうことじゃないだろう、と。
ぼくは、何が「そういうことじゃない」のかわからなかった。
料理にまったく興味のないぼくは、ネット上のレシピがすべて消え去ったとしても何とも思わない。
そんな人間が、レシピサイトで働けるというのか?
ぼくは、言語に興味があるから、少しでもそれに関わる仕事がしたいと思ってW社を選んだ。
でもそれは、工場で働くライン工が最終製品が何であるかを気にするような、馬鹿げたことだったんだろう。
最初、ぼくの問題はたまたま悪い実質上司に当たったというだけだと思っていた。
しかし、その後も偉い人との会話を続けることで、根本にある問題に気がついた。
偉い人レベルでの、従業員は使い捨て可能・交換可能な部品であるという見方。
(こういうことを書くと、シニカルな人は「会社とはそういうものだ」と言うだろうが、これまで勤めた2社ではそういうことはなかった)
努力
「お前がそんな境遇になったのは技術力がないからだろう」と言われるかもしれない。
確かに、努力でひどい環境から抜け出した人のサクセスストーリーはある。
ぼくが泥沼で苦しんだのは、実力不足という要因もあるだろう。
それでも、ぼくはマイペースに努力はしている。
能力の範囲内で成長はしているはずだ。
それはトップレベルの人から見たら、目に見えないぐらい微々たるものかもしれないけれど。
人生は長いから、限界以上に頑張ってもすぐに息切れしてしまう。
遠くを走っている人には、「俺は『走る』というすばらしいアイデアを思いついたのに、お前は何で歩いてるんだ?」と言われたりもするけれど、自分は自分のペースで歩き続けるしかない。
書くことについて
「プログラマは黙ってコード書けよ」みたいな考え方がある。
だが、ぼくはそういう言説とは全力で戦っていく。
確かに、努力をあきらめてのらりくらりと生きているようなプログラマもいるのかもしれないが、能力の範囲内で精一杯頑張って、それでももがいているプログラマも数え切れないほどいる。
人間の生まれ持った能力は違うし、抱えているハンディキャップも違う。
運良くパラメータと環境が揃った人間だけが勝ち組になれるなんて、いくらかっこつけたところで、原始時代と同じじゃないか。
プログラマがものを考えないでいると、ごく一部のトップ以外は、会社に交換可能な部品と見られて底辺を這いずることになる。
ぼくはそれをこの会社で実感した。
「もっとひどい環境で苦しんでいるプログラマはいくらでもいる」と思う人はいるだろうし、それは事実だと思う。
でも、そういう人たちは何かを書くエネルギーすらなかったり、会社のことがトラウマになって書けなかったりする。
だからこそ、まだ恵まれているほうのぼくが書いている。
下を見て安心したり、自分の環境を自虐ネタにしたり、そういうことはしたくない。
(ところで、この記事を見てW社の環境がいいと思った人はぜひ受けてほしい。正しいマッチングを促進することになると思う)
流動性
辞める理由は、ぼくが人格的にダメでストレス耐性が低いというのもあるけど、「流動性を高めたい」というのもある。
人材流動性が高まることで、それぞれの組織には適した人材が残るようになる。
「人間を部品として見ている」会社、「変化を嫌う」「好奇心がない」「製品に対する関心がない」といった文化がある環境では、それに合う人が残っていく。
もし、それらの特徴を備えた会社が生き残る方向に市場の力が働くなら、それはしょうがない。
でも、ぼくはソフトウェア開発というのはそういうものじゃないと思っている。
自分が機械にならなくても、好奇心を持って果敢にチャレンジすることで生産性や信頼性を上げることができるのが、プログラマという職業なんじゃないだろうか?
トップレベルの人材でない限り、健全さ・好奇心・向上心・余裕・人間としての尊厳といったものは贅沢品にすぎないんだろうか。
ぼくはそうは思わない。
現時点では、そういうものが持てる健全な会社はごく一部で、トップレベル人材の分の場所しかないかもしれない。
でも、その健全さは「頑張ったご褒美」として与えられているものではなく、それ自身が成長力につながっているはず。
だとしたら、そういう会社が勝つことによって、よりよい環境が増えていくんじゃないだろうか。
そのためには、プログラマの行動が必要だ。
プログラマが、人間として頭を使って考えること。
プログラマが、いる場所・いた場所の情報をオープンにしていくこと。
プログラマが、いるに値しない場所から勇気を持って去ること。
プログラマの環境を改善するには、これらが大事だと思っている。
少しずつでも下のレベルにまで健全さが波及するよう、市場の力が働いてほしい。
収入
収入について、在職中にプログラマの生産性と報酬という記事を書いたことがある。
そこに「年収 1000万円」という職場の例を出したけれど、それはただの仮想の話だ。
実際は普通レベルだった。
(正社員として普通に給料をもらえるという時点でものすごく贅沢なレベルの話なのはわかっているけれど、子供がいるのでしんどかった。今は、妻が働くために子供は妻の実家に預けている)
よかった探し
会社についてのいい面も書いておく。
何よりもよかったのは、社長の人間性。
常にポジティブで、明るく、エネルギーにあふれていて、ユーモアを忘れず、決断力もある。
まさに起業家に向いているタイプだった(ぼくとは正反対だ)。
また、同僚(×上司)にも恵まれた。
同僚は、わからないことを聞くと何でもすぐに教えてくれた。
「聞いたほうが早いことは聞く」という、合理的な文化があった。
そのほかによかったのは、定時退社と有給休暇取得が自由にできたということ。
毎日、18:00 の瞬間に帰っていたので、10分遅れると妻に心配されるほどだった。
(さすがにほかの人はそこまで早くはなかったが、それでも30分も残業しないぐらい)
さらに、会社には数多くの本があり、自由に借りることができたのも精神的によかった。
(金銭に換算すると大したことはないが、教養を重視しているという意味で)
それに、Java や Web プログラミングを取り巻くエコシステムについて、ある程度の知識を得られたのもよかった。
一年前のぼくは、Java にも詳しくなかったし、Java の周辺技術も何ひとつ知らなかった。
個別プログラミング言語の経験でなく、ポテンシャルによって採用してもらえたということではありがたく思っている。
また、会社の偉い人たちはすべてにわたって合理的で、話が通じやすくてよかった。
ぼくが Google を辞めたときのブログも読んでくれていて、そのうえで採用してくれた。
W社を辞めるときにブログを書くことも想定内で、そのうえでメリットのほうが大きいと判断してくれたんだと思う。
実際、それなりの成果は上げられたはずだと思っている。
この先
さて、最初に書いたように、今後の人生の見通しは暗い。
でも、転落人生というコンテンツとしてはいい感じだと思っている。
今後、もっと情けない境遇になることがあったら、それも報告したいと思う。
(万が一人生が好転した場合はコンテンツ性が低いので書かない)
以前 Google を辞めたことについては、今でも後悔していない。
というのは、ぼくはプログラマとして「再現性」を重視しているからだ。
もしぼくに実力があれば同じくらい環境のいいところにまた入れるだろうし、そうでなければ再現性のない幻にすぎない。
結果として後者だったわけだが、それならそんな幻にすがっていてもしかたがない。
この先、就職活動をするにあたって一番憂鬱なのが「権力」のことだ。
今後どこに行っても、権力という意味では常に一番下っぱになる。
これまで、そういうことを意識する環境にいたことがなかったので、そのことを気にしていなかった。
お気楽だったとしかいいようがない。
今後どこに行っても一番下っぱになるだろうし、権力闘争には向いていないのでそこから這い上がることもできないだろう。
そう考えると絶望的な気持ちになる。
Google を辞めたときは、開放感からケーキを買ってきてお祝いをしたぐらいだった。
でも、今回はとてもそんな気持ちにはなれなかった。
今日、家に帰って、晩ご飯を食べてから布団にもぐって、1時間以上ずっと泣いていた。
これまでのつらかった時間、失われた人生を思って、またこれからも底辺を這いずって生きることで失われる人生を思って。
希望
「ある場所でやっていけない人間は、ほかの場所でもやっていけない」というような話を好む人間もいる。
ぼくが学部で京都大学をやめて大阪外大に入ろうとしたとき、そういうことを言われた。
でも、実際に大阪外大に行ってみると人間も雰囲気も大違いで、ぼくはずっと幸せになることができた。
それ以来、そういう言説は信用していない。
人間の集まる場所は、一部の人が思うより、ずっと多様性に富んでいる。
ぼくも、一度だけそれなりに長く(5年)勤められた経験がある。
小さいところだったが、カリスマ的な社長がいて、思いついたアイデアをいつも開発室に話しに来ていた。
社長の人柄もよく、ひとりひとりの従業員と人間として接していた。
その職場では、「権力」という単語が頭をよぎったことは一度もなかった。
いい環境だった。
(残念ながら、そこは社長が亡くなって以来、帰りたいと思えるような場所ではなくなってしまった)
だから、自分に合った場所に出会える確率もゼロではないはず。
いつかまた、そういう場所が見つけられるよう、青い鳥ハンターになっている。
辞めることを決めた週末、結婚記念日のお祝いとして石油王的娯楽(映画鑑賞)をした。
そのときに見た映画「それでも夜は明ける」は、19世紀のアメリカを舞台としたもの。
自由黒人だった主人公が南部に拉致されて 12 年間奴隷として暮らしたという実話に基づく映画だった。
それを見ながら、思わず自分の境遇と引き比べていた。
そして、自分の幸せに気づくことができた。
映画の主人公は、奴隷主や奴隷使いの当たり外れで環境がよくなったり悪くなったりするが、彼は主人を選ぶことができない。
でも、ぼくは少なくとも奴隷主を選ぶことができる。
逃げても、逃走奴隷としてリンチされることもない。
職業選択の自由はすばらしい。
人類がこれまで積み上げてきた概念の大切さを思い知った。
これからしばらく、隷属から離れて、人間として生きることができる。
次の職場が見つかるかどうか、見つかっても人間として生きることができるかどうかは、まだわからないけれど。
上で引用した日記の続き。
いつか仕事が辞められたら、今の職場にいた時期のカレンダーを真っ黒に塗りつぶして、失われた日々を追悼したい。
ぼくは今後、この期間のことをずっと供養していきたいと思っている。
そのためには、今後の人生をこの時期よりもいいものにしないといけない。
頑張ろう。