TeX の発音
今さら、TeX の発音が話題になっているようです。
もう何度目だというぐらい目にしている気がするのですが、この問題は本質的にややこしいのでどうしようもないですね。
この問題について書かれているページのひとつとして、以下のものがあります。
これは非常に詳しく書かれていて、付け加えることなんてないようにも思えますが、ほかの言語の事情も含めて書いてみます。
まず、クヌース自身の書いていることから。
上記のページにある通り、彼は「TeXを知っている人は、TeXのχをxとは発音せず、ギリシャ語のchiのように発音する」と明確に書いています。
発音記号では [tex](「テッフ」のような音)となります。
この [tex] を正式発音と考えると話は簡単です。
いくつかの言語では、この正式発音をもとにして、それぞれの言語流の発音をしています。
ロシア語では、[te] の部分が少しなまって [tjex](「チェフ」のように聞こえる)と発音します*1。
ドイツ語では、e の後ろで [x] が変化して [ç] という発音になり、[teç](「テヒ」のように聞こえる)となります*2。
どちらも、[tex] をベースに変化した音です。
つまり、日本語では [tex] の日本語流発音をすればいいということになります。
日本語には [x] の音はないのですが、「バッハ」「ゴッホ」などではハ行の音になっています。
そうなると、[tex]も同じように「テッフ」とするのが筋ということになります。
ここで、「じゃあなんでクヌース自身は『テック』と言っているんだ」という話があります。
でも、実は話は簡単です。
[tex] の英語流発音が [tek] だからです。
TeX に限らず、英語では原音が [max] の「マッハ」も「マーク」のように発音されます。
そう考えると、ロシア語やドイツ語の場合と同じように、英語でも [tex] という正式発音をその言語流に読んでいるだけということになります。
こんなややこしいことになったのは、クヌースが英語にない発音を正式名称とした ということが原因です。
でも、そういうことは固有名詞ではよくあることです。
言語を置き換えて考えてみます。
たとえば、日本語のアニメで「ヴィンセント」というキャラクターが出てきたとします。
そうすると、作品中ではこれは [binsento] のように読まれることになります。
でも、作者の頭の中では [vinsent] のような英語発音が想定されているはずです。
さて、この「ヴィンセント」を諸外国語に訳すときに、"binsento" をベースにするのがいいか、"vinsent" をベースにするのがいいか。
まあ、普通に考えたら後者ですよね。
「作者のその言語での発音」よりも、「作者の脳内発音」を重視するわけです。
TeX の場合は、作者自身が脳内発音を明確に書いているので、なおさらそちらを基準にするのがいいように思えます。
でも実際には、アメリカでみんな「テック」と言っているということには無視できないほどの影響力があります。
おアメリカ帰りの人たちなどは当然「テックが正しい」という意見にならざるを得ないわけです。
これは言ってみると、アメリカ人の日本アニメオタクが、「ヴィンセント」というキャラの発音について「Vincent じゃねーし! Binsento だし! 日本人みんな Binsento って言ってるし!」と言うようなものだと思うのですが。
さらにめんどくさいことを言うと、日本でよく聞く「テフ」という発音は全然 [tex] に近くない ということもあります。
「バッハ」や「ゴッホ」などのように語頭にアクセントがある場合はまだいいのですが、「テフ」の場合はいわゆる専門家アクセントで、「フ」のほうが高く読まれます。
そうすると、「フ」の母音がはっきり目立って、元の [tex] には似ても似つかない印象の音(少なくとも、私はそう感じます)になります。
原理主義的に考えると、「テッフ」(語頭にアクセント)と読むべきということになってしまいます。
結局、クヌースの脳内発音を重視するか、クヌースの実際の発音を重視するかという問題になるので、「これが正しい」という結論はありません。
・英語ではテックのように読まれる
・クヌースが意図した発音は [tex] で、それをもとにした発音をする言語は多くある(英語もそのひとつと解釈できる)
ということさえ押さえておけば、日本語では「テフ」と読んでも「テック」と読んでもいいんじゃないでしょうか。
何度も何度も繰り返されてきた話題なのでいい加減うんざりしている人も多いかもしれませんが、「テック派」へのカウンターとして一応書いてみました。