インフルに対する意識を改めるな
この記事の変なブコメに星が集まってるので書く。
インフルと変わらん派だった人、正直に手を上げて~b.hatena.ne.jp逆にインフルに対する意識を改めた。予防接種や薬がないと、こんな風なんだって。数々のワクチンを作ってくれた先人に感謝したい。
2020/04/06 11:58
「予防接種や薬がないと、こんな風」だって?
何を言っているんだ?
「予防接種」「薬」のうち、まず「薬」から。
とりあえず、インフルエンザの薬ができたのがいつか覚えているだろうか。
年齢層の高いはてなーなら覚えているだろう。
タミフルが日本で保険適応されるようになったのが2001年だ。
じゃあ、それまでインフルエンザは恐ろしい病気だったか?
これも年齢層が高いはてなーなら覚えているはずだが、そんなことはない。
そもそも、インフルエンザ薬の効果は「発熱の期間を1〜2日短くすること」だ。
ちゃんとした医療機関のページならどこにでも書いてある。
【必読!】当院のインフルエンザ治療について。とくにイナビル、ゾフルーザなど1回投与のもの|こだま小児科
インフルエンザの薬の効果は、発熱の期間が1~2日(24~48時間)短くなることです。それ以上の効果、つまり肺炎やインフルエンザ脳症を予防する効果は証明されていません。
発熱の期間が1〜2日短くなるのは、それはそれでいいことだけど(ぼくもこの前インフルエンザBにかかってイナビルを吸入した)、どう考えてもインフルエンザの恐ろしさに大きく関わるようなものじゃない。
で、予防接種。
日本の65歳以上のインフルエンザワクチン接種率は(ちょうどタミフル保険適応と同時期の)2001年の予防接種法改正で上がったのだが、その直前シーズン(2000年〜2001年)の接種率推計は17.1%だ。
わが国におけるインフルエンザワクチン接種率の推計 (PDF)
次のシーズンで34.2%*1と急増している。
じゃあ、ここで何かが大きく変わったか?
平均寿命がガクッと非連続に上がったか?
これも、年齢層の高いはてなーなら覚えているはずだが、そんなことはない。
平均寿命は連続的にじりじり上がっている。
インフルエンザワクチン接種率の向上は、そのじりじり上昇にわずかに寄与しているかもしれないが、その程度だ。
インフルエンザの薬もワクチンもインフルエンザの恐ろしさにほとんど影響を与えていない、とすると答えはひとつ。
「インフルエンザは元々大した病気じゃない」ということ。
「でもインフルエンザの年間死者数は云々」という人がいるかもしれない。
ここで、ぼくの得意なSF的思考実験を考えてみる。
「その人が元々死ぬ運命だった日の2週間前に発病して謎の死を遂げる病気」ができたとする。
「元々死ぬ運命だった日」というのはデスノート的概念で、この病気(X病とする)がなかったら交通事故なり別の病気なりで死んでいたはずという日だ。
それらの死がなくなり、すべての死はX病による死になる。
統計上、「X病による死」の数は年間死者数と同じ、つまり137万人とかになる。
さて、この病気は人類と決して共存できない病気だろうか?
もちろん、そうではない。
人類は2週間寿命が短くなっただけで、普通にこれまで同様の生活を続けることができる。
ここで言いたいのは、「X病=インフルエンザ」ということではなく(こういう予防線を張っておかないとバカが文句をつける)、年間死者数は病気の恐ろしさのいい指標ではないということ。
インフルエンザは、高齢者や持病のある人といった、余命の少ない人を主に殺す。
それはもちろん、防げるのであれば防げたほうが望ましいのだが、「人類と共存できない」ほどではない。
なぜなら、人類は不死ではないからだ。
インフルエンザで死ななくても、別の理由でそのうち死ぬ。
(もし人類が基本的に不死だったら、インフルエンザ程度の死亡率でも大騒ぎになるだろう)
ここで、だいたいの人は「あれ? 新型コロナもそんな感じで高齢者や持病のある人が主に死ぬんじゃなかったっけ?」と脊髄反射したところだろう。
「ファスト&スロー」で言うところの「システム1」だ。
しかし、脊髄反射を抑えて冷静に(「システム2で」)考えれば、これまで十分新型コロナの恐ろしさの情報は出ていて、みんなもそれに接している、ということを思い出せるはずだ。
2割弱の患者では、肺炎の症状が増強し入院に至ることがあります
約5%の症例で集中治療が必要になりICUに入室し、2-3%の事例で致命的になりうるとされています。
つまり、新型コロナは医療リソースを大量に消費し、それが尽きると重症患者の死亡率が上がるということだ。
存在を無視していれば、指数的に患者が増えるとともに医療リソースがあっという間になくなり、死亡率は5%を超える。
これがイタリアやスペインで起こったことで、みんな知っていることだ。
いくら死者が高齢者・基礎疾患のある人が中心といっても、新型コロナがほぼ全員に広がり、その5%が死ぬとなったら、社会は大変なことになる。
短期間で数十万人の死者が出て、死体置き場に困り、火葬も追いつかないようになる。
年齢層の高い政治家などもどんどん穴が空き、日本で言えば高齢化率の高い農業も大ダメージを受けるだろう。
ちなみに、日本でのインフルエンザ感染者の致死率は0.001%で、70歳以上の高齢者では0.03%だそうだ*2。
I.C.T. Monthly No. 162 (PDF)
そろそろ、「じゃあスペイン風邪は? あれもインフルエンザだったよね?」という意見が出てくるころだろう。
簡単に言うと、「あれは恐ろしいインフルエンザだった」ということ。
致死率が2.5%もあったのに加えて、死亡者のほとんどが65歳未満だった。
つまり、インフルエンザには恐ろしいものもあればそうでもないものもあり、いつもの季節性のはそんなに恐ろしくないやつ。
以上。
では、なぜこんな簡単なことがみんなわからなくなっているのか。
特に、2000年以前に物心がついていた人なら、普通であれば引っかかるはずがないようなことなのに。
それは、今の状況と関係があると思う。
今は新型コロナとの戦いで先が見えない状態で、みんな希望を持ちたいんじゃないだろうか。
そこで、「我々は過去インフルエンザという恐ろしい敵と戦ったが、今では薬やワクチンによってそれを手なずけている」という希望の持てるストーリーに飛びつくわけだ。
問題は、それが真実ではないということだが。
新型コロナの恐ろしさは、季節性インフルエンザの比ではない。
この事実にきちんと向き合わないといけない。
だからこそ、台湾や韓国ではあんなに血眼になって帰国者を隔離したり感染者を追跡したりしていた/しているわけだ。
日本も、今からでも何としてでも抑え込まないといけない。
「希望の持てるストーリー」については、アリババが公開している新型コロナウイルス感染症対策ハンドブックの前文はどうだろうか。
アリババは新型コロナ対策集を公開 広がるオープンイノベーション:日経ビジネス電子版
これは未曽有の闘いで、世界中の人類は「新型コロナウイルス」という共通の敵と闘っていま す。この戦争の最前線は医療現場で、その兵士は医療従事者です。
…
今回のパンデミックは、グローバル化された人類が共に立ち向かう戦いです。今こそ、この戦いに勝利するために、リソースや経験、また得られた知見を分け隔てなく共有しなければならないと考えています。パンデミックを抑えるのは互いを避けることではなく、協力し合うことだからです。
この戦いは始まったばかりです。
事実に基づいて正しく恐れ、事実に基づいて正しく希望を持とう。
緊縮財政と新型コロナ
まず、「緊縮派」「反緊縮派」というゼロイチ思考は悪い、と言っておきます。
というのは、ちょっと考えたらわかることですが、政府のGDP比債務残高が0%(無借金)の状態で、「国債を発行してはいけない」と言う人はいないわけです。
また、GDP比で400%まで行っても大丈夫、と言う人もまあいないでしょう。
そう考えると、それぞれの論者にあるのは「ここまで(200%、250%…)なら国債を発行しても大丈夫」というラインであって、現状がそれを下回っていたら反緊縮派、それを上回っていたら緊縮派となるわけです。
あなたのラインは何%ですか?
私のラインは…
「経済学者じゃないのでわかりません」。
無知の知、大切ですよ。
言語と経済と教育は門外漢が適当なことを言う三大分野だと思っている(誰でも関わりがあるのでみんな一家言持っている)
— Hiroshi Manabe (@takeda25) 2014年4月25日
@takeda25 (i) みんな実体験から何かしら意識的に考えたことがある、(ii) 義務教育で体系的に習わない、という条件が揃った不運な分野というかんじですね。
— asaokitan (@asaokitan) 2014年4月26日
ちなみに、「自国通貨だからいくら借金してもデフォルトは起こさない」という意見に対して。
終戦前もGDP比で200%ぐらいの債務残高があったのですが、これは財産税とか、戦時補償請求権に対して100%課税するとかの無茶なことをやって、それからインフレで実質ほぼチャラになりました。
デフォルトしない要因は「自国通貨だから」というのもありますが、「自国民に対する債務だから」というのもあるでしょうね。
自国民に対する債務は、適当に形式を整えれば踏み倒せるということです。
(もちろん、踏み倒すと経済はめちゃくちゃにはなりますが、形式上デフォルトではありません)
で、新型コロナ対策ですが。
これは、「財政にかかわらずやるべき」です。
新型コロナというのは、そのまま放置すると都市のロックダウンに至ります。
「経済が大事だからロックダウンなんてするな」という威勢のいい考え方の人もいるかもしれませんが、いざ死体の山ができてみると、集団としての人間はそういう考えを貫き通すことはできません。
しかし、東京をロックダウンするとなると、当然、ものすごい経済損失が発生します。
そうなる前に、外国帰りの人や濃厚接触者を追跡し、自宅や宿泊施設で確実に待機させるといった対策を取って指数的増加を抑え込むことができたら、それは何十倍・何百倍にもなって返ってくる投資と言えるでしょう。
台湾や韓国がやっていることです。
ここでお金を惜しんではいけません。
これは、「確実に何倍にもなって返ってくる投資」だからです。
あなたに借金が1000万円ある(手持ちのお金はいくらかある)とします。
そこにドラえもんが来て、「この箱に10万円入れると100万円になって出てくるよ*1」と言います。
あなたは「いや、借金が1000万円あるから10万円なんて出せないよ」と言うでしょうか?
マイナスを減らすかプラスを増やすかという違いはありますが、同じことです。
マイナスとプラスを現実に合わせた書き方をすると、借金が900万円あるところに「10万円入れないと強制的に100万円取られる箱」を出されるようなもの、となります。
まあ、これはロックダウン以外の方法で指数的増加が抑えられるという状況での話でした。
もう遅いかもしれませんね。
指数関数的な増加のグラフが神風によって折れるシミュレーションやめろ
— 世界政府 (@n_en_u) 2020年3月29日
*1:一回しか使えないとします。
志村けんのパラドックス
みんな冷静に計算してほしいけど、東京都の新コロナ感染者数は現在171人。東京から無作為に200人をピックアップしたときに、その中に超有名人の志村けん氏が入ってる確率ってどのくらいだと思う? 現在の感染拡大ペースは我々の想像をはるかに超えてるよ。桁違いの感染者数になってるよ。
— 森岡正博 (@Sukuitohananika) 2020年3月25日
このツイートと、
森岡正博 on Twitter: "みんな冷静に計算してほしいけど、東京都の新コロナ感染者数は現在171人。東京から無作為に200人をピックアップしたときに、その中に超有名人の志村けん氏が入ってる確率ってどのくらいだと思う? 現在の感染拡大ペースは我々の想像をはるかに超えてるよ。桁違いの感染者数になってるよ。"b.hatena.ne.jpブコメがひどい。水曜日のダウンタウンとやらによれば志村けんは日本の知名度ランキング15位。そんな人が感染してるなら、実際の感染者は200人よりはるかに多いのでは、という推論が、そんなに変か?
2020/03/27 01:07
このブコメの話です。
結論から言うと、「例の哲学者の人の推論は間違っていない」「例の哲学者の人の前提が間違っている(と私は考える)」というものです。
以下、荒唐無稽な例をいろいろ挙げながら考えていきます。
ついて来れるかな?
ある日、宇宙人が来て、「一切の活動をやめろ。家にこもって部屋でテレビだけ見ておけ」と日本人に命令したとします*1。
テレビ以外の情報は遮断され、ネットもできません。
100人のテレビの出演者だけは活動を許されています。
次に宇宙人は、「夜中にそれぞれの日本人について10万分の1の確率のくじを引き、当たった人間を殺す」と言います。
そして、次の日。
テレビを見ると志村けんがいません。
夜中の殺戮で殺されたとのことです。
さて、あなたは「この宇宙人は本当のことを言っているんだろうか」と心配にならないでしょうか。
そこに善意の第三者の宇宙人が来て、星を襲う宇宙人のタイプについて教えてくれました。
「こういう行動をする宇宙人にはタイプAとタイプBがいて、タイプAは殺す確率を正直に答えてくれる。タイプBは確率を1/100に偽る。タイプAとタイプBは同数いて、どちらに襲われるかは半々の確率だ」
なるほど、志村けんが殺される前の段階では、日本*2を襲った宇宙人がタイプAである確率は50%、タイプBである確率も50%だったわけです。
では、「芸能人が一人殺された」という情報を知った時点で、この宇宙人がタイプAである確率とタイプBである確率は、どう判断するのがいいでしょうか。
タイプAの場合、芸能人がちょうど一人殺される確率というのは、100 * (1/100000) * (99999/100000) ^ 99 = 0.00099901..と、ほぼ0.001の確率になります。
タイプBの場合、つまり、くじの確率が実際は1/1000であった場合、その確率は、100 * (1/1000) * (999/1000) ^ 99 = 0.09056.. と、約0.09になります。
ここで、同じ条件で宇宙人Aに襲われた星が10万個、宇宙人Bに襲われた星が10万個あるとします。
すると、宇宙人Aに襲われたほうでは100個ぐらいの星で一人の芸能人が殺されていて、宇宙人Bに襲われたほうでは9000個ぐらいの星で一人の芸能人が殺されていることになります。
さて、地球はどちらでしょうか?
こう考えると、宇宙人Aに襲われたという確率は100/9100=1/91、宇宙人Bに襲われたという確率は9000/9100=90/91となります。
ここにまた善意の第三者の宇宙人が来て、「薬Xを使ったらタイプAの宇宙人が100%の確率で死ぬ。薬Yを使ったらタイプBの宇宙人が5%の確率で死ぬ。いま地球を襲っている宇宙人にどちらかひとつだけ使う機会をやる。どちらにする?」と聞いてきたとします。
どちらを選ぶのが賢明でしょうか。
もちろん、薬Yですね。
とまあ、こういう具合に、こういう荒唐無稽な例では「芸能人がやられた」ことが意味を持つわけです。
では、現実とは何が違うのでしょうか。
まずは、身も蓋もない話ですが、「我々はタイプAの宇宙人とタイプBの宇宙人のどちらかに半々の確率で襲われているわけではない」という点です。
これを掘り下げると、「我々は政府が正直に感染者数を伝える確率を高く見積もっている」ということになります。
元々の正直度の見積もりが低い場合について考えてみます。
例えば、中国でまた新たな感染症が流行って、中国政府が感染者の数を1万人と発表したとします。
また同時に、中国で15位の知名度を持つ有名人が感染していることが伝えられたとします。
さて、みなさんは中国政府の発表を信用できるでしょうか?
この場合、元々中国政府の正直度を低く見積もっている人は、「実際は中国政府は嘘をついていて、感染者はもっといるはずだ」と思いやすいでしょう。
ここで、「中国政府を信用していない人はどんな発表でも信じないんじゃないか」と考える人がいるかもしれません。
でも、仮に中国政府が「感染者は7億人だ」と発表していて、また有名人も半分ぐらい感染しているという場合、それは中国政府の発表を疑う根拠になりにくいですよね。
そもそも、有名人と一般人は何が違うのか、というところに遡って考えてみましょう。
重要な違いは、「感染していたとしたら、その事実を隠蔽しにくい」という点*3です。
だから、志村けん(という有名人の一人)が感染していたという事実は、元々政府をあまり信用していない人にとっては、「政府は本当のことを言っている」というシナリオよりも、「政府は嘘を言っていて、感染者数はもっと多いが隠蔽されていて、有名人については隠しきれないので情報が出てきている」というシナリオが説得力を持つ根拠になるのです。
宇宙人の荒唐無稽な例と現実との間には、他にも重要な違いがあります。
そのひとつは、「コロナウイルス感染はランダムなくじではない」という当たり前の事実です。
志村けんさんは夜遊びが好きだということです。
夜遊びというのは、まあ普通に考えると接客する女性との濃厚接触がある場でしょうね。
そういう場では、接客する女性は他のいろいろな男性とも濃厚接触しているわけです。
そういうわけで、志村けんさんのケースは「芸能人の財力で有料ガチャに重課金していた人が超レアキャラを引き当てた」という程度に納得感のあるものではないでしょうか。
というわけで、例の哲学者の人が
- この病気は誰でも平等にかかるものだ
- 政府は感染者数を隠蔽しているかもしれない
- 政府は有名人の感染については隠蔽できないだろう
という前提を持っているのであれば、志村けんさんの感染によって彼が「政府は感染者数を隠蔽しているんだろう」という確信を深めるのは、確率の考え方としては、完全に理にかなったことです。
有効な反論は、それらの前提に対する
- 志村けんは特別に感染確率が高かったんだろう
- 政府が感染者数を隠蔽するなんて無理だろう
- その気になれば有名人の感染も隠蔽できるだろう
といったものです。
「確率の考え方がおかしい」と思った人は反省してください(上から目線)。
考えるきっかけになったのはこの一連のツイートです。
たとえば小惑星衝突直前、地球脱出船に日本人から1人だけ乗船できることになって、厳正なる抽選の結果、1億2千万人から偶然日本一の大富豪が選ばれました、と発表されたら、
— asaokitan (@asaokitan) 2020年3月27日
みんな「厳正なる抽選なんかしてないのでは?」と考えるはずで、「日本一の大富豪が偶然選ばれる確率も、3丁目の田中さんが偶然選ばれる確率も同じだから、なんの不思議もない」という主張はあまり説得力を持てないよね。
— asaokitan (@asaokitan) 2020年3月27日
だから、結局、こういうのはもともとある他の信念次第で、オルタナティブな説明にどのくらい説得力があるかが決まるので、閉じた確率の問題にはなってないんじゃないの、と思う。この理解でいいのかな。
— asaokitan (@asaokitan) 2020年3月27日
「こういうのはもともとある他の信念次第で、オルタナティブな説明にどのくらい説得力があるかが決まる」というのが本質を突いていると思います。
例えば、志村けんさんの家に隕石が落ちた、という話であれば、それがいくらありえなさそうに思えても、まあ偶然でしょ、という話になると思います。
それは、我々が知る宇宙というのが、有名人を選んで隕石が落ちてくるようなものではなく、また隕石が落ちてくる頻度について政府が偽っているということも考えにくいからです。
でも仮に、ホワイトハウス・習近平主席の住居・安倍総理の住居、という順番に隕石が落ちてきたとしたら、宇宙人から電波か何かでメッセージが届いていないか調べてみてもいいかもしれません。
いくら「宇宙人が意図的に隕石を落としている」というシナリオに説得力がなくても、その状況ではそのシナリオの説得力がぐんと上がることになるので。
新型コロナウイルスについては、これまでにも次のような記事を書いていますので、こちらもよろしくお願いします。
1か月前のミラノ
1か月前のイタリアで、"#milanononsiferma" (ミラノは止まらない*1)という動画とタグが流行りました。
www.youtube.com
「奇跡を起こそう、毎日」「なぜなら恐れないから」といったことが書いてあります。
イタリア語が読めなくても雰囲気は伝わるとは思います。
なんとこの動画は、ミラノ市長にもシェアされていました。
その当時のミラノの感染者数は400人ほど。
休校・公的施設閉鎖・営業制限などが行われていたそうです。
#milanononsiferma というハッシュタグがミラノで普及してきてる。「怖い!」で休校、公的施設閉鎖、営業制限を即時したけど、このままじゃ経済がやばいと危惧する人が増えたみたい。ウィルスの恐怖もだけど、経済不況により死につながってしまうというケースもあるからなあ。
— mdrttn (@Ridomint) 2020年2月28日
このビデオは、「コロナなんかに負けずに経済を回していこう」という気持ちで作られたのかもしれません。
しかし、その1か月後のミラノ、ひいてはイタリアがどうなっているかはみなさんご存じの通りです。
そして、現在の東京です。
東京都の新型コロナ感染者数、2月16日くらいから約6週間(41日)で10倍になるペースで増えてるっぽい。 pic.twitter.com/HHnkhZXvoW
— Yohei Kondo (@kondo_yohei) 2020年3月25日
これは対数グラフなので、一直線ということは、10倍・100倍・1000倍というペースで増えているということです。
未来のことは普通はわからないものですが、今この瞬間は、誰でも未来予知者です。
潜伏期間もあるので、1か月後には確実にこの線に沿って感染者が増えているはずです。
そのころには、今よりさらに厳しい対策が取られているでしょう。
しかし、どうしても思わずにはいられません。
「1か月後の対策をいま取ることはできないんだろうか?」と。
イタリアやスペイン・フランスでやっているような極端な対策は、いま実行すると「納得感」が得られないかもしれません。
実際に死体の山が積み上がって初めて、「これほどの惨状ならしょうがないか」と思ってもらえるのかもしれません。
でも、私たちは「タイムテレビ」を持っています。
このままゆるい対策を取り続けた場合の未来は見えています。
何か、いま以上にできることはないんでしょうか。
例えば、現状では帰国者や症状のない濃厚接触者には自宅待機をしてもらっているそうですが、一人あたり何十万円・何百万円をかけても、確実に感染が起こらないホテル的な施設で過ごしてもらうとか。(素人考えですが)
いまここでかける1円は、何百円・何千円にもなって返ってくるんじゃないでしょうか。*2
現状で、本当に命懸けで、「実効再生産数を下げるためなら何でもやる」という対策が取られているんでしょうか。
私にできることはあまりありませんが、ブログ記事を書くだけでも、少しは助けになると思っています。
ネット上の流行は、現実に影響を及ぼします。
"#milanononsiferma" が(おそらくマイナスに)影響を及ぼしたように。
これを読んだ人も、「1か月後の対策をいま取ることはできないんだろうか?」という疑問を、何らかの形で広めていってください。
そうすれば、それはウイルスのように広がるはずです。
次の記事もご覧ください。
「対策か、経済か」ではない
新型コロナウイルスについて。
「コロナ*1対策を取るか、それとも経済を取るか」という二項対立の図式をよく見るので、そうではない、という話。
わかっている人はこれ以上読む必要はない。
まず、コロナ対策としては、次の3つの選択肢がある。
1. 封じ込め
2. 緩和
3. 何もしない
2番目は、イギリスがやろうとして方向転換した。
イギリスでの試算では、「緩和」を選ぶと、25万人が死ぬという。
もちろん、医療システムは完全に崩壊する。
集団としての人間は、その状態に耐えられない。
あなた個人がいくら冷血で「いくら人が死んでも気にすることはない」と思っていたとしても、いざ死体の山ができて火葬が追いつかないような状態になってみると、あなた以外の多くの人間が「これではだめだ」と思うようになり、結局は「封じ込め」に方針転換せざるを得なくなる。
イタリアもそうなっている。
日本も、そういう状況になったら、確実にそうすることになる。
よって、対策の実際の選択肢は次の3つだ。
- 封じ込め
- 緩和→死体の山→封じ込め
- 何もしない→死体の山→封じ込め
当然、最善は1番目だ。
で、「封じ込め」の方法の話。
これはとにかく、「一人の感染者が平均的に感染させる人数(基本再生産数)」が1未満になるまで、対策を厳しくしていく必要がある。
基本再生産数が1を上回っている間は、指数的に感染者が増え続ける。
(集団免疫ができればその限りではないが、それは「死体の山」コースなので選択肢に入らない)
ここで、「基本再生産数が1未満になるまで対策をすると経済がめちゃくちゃになる」とする。
この場合、それを避けて対策を厳しくするのをためらうと、指数的に感染者が増えて死体の山ができてから対策を厳しくすることになり、結局は経済がめちゃくちゃになる。
つまり、基本再生産数が1を上回っている場合、経済に関しての実際の選択肢は次の2つ。
- 感染者が少ないうちに厳しい対策を取り、経済がめちゃくちゃになる
- 感染者が増えて死体の山ができてから厳しい対策を取り、経済がめちゃくちゃになる
これも当然、最善は1番だ。
まとめると、我々には「小さい被害+めちゃくちゃになった経済」か、「死体の山+めちゃくちゃになった経済」という選択肢しかない、ということになる。
これは新型コロナウイルスの性質上しょうがない。
世界はもう「新型コロナウイルス後の世界」になってしまっている。
その事実から目をそらそうとしても、「新型コロナウイルス以前の世界」に戻ることはできない。
もちろん、現時点での対策で基本再生産数が1未満になっているなら、いま以上に厳しくすることはない。
そのままコロナの収束を待つだけだ。
幸いなことに、3月9日の専門家会議によると、「実効再生産数は日によって変動はあるものの概ね1程度で推移してい」たそうだ。
今後はどうなるだろうか?
「韓国とイタリアは検査しすぎて医療崩壊した」とかいう狂気のデマ
ツイッターでこのミームがウィルスのように広まっているので書いておく。
まず、韓国。
韓国が大変なことになったのは、ちょっとマシな人間なら誰でも把握している通り、「感染者が新天地という新興宗教の礼拝で広めたから」。
31人目の確定診断者が感染させた人数はなんと1160人にものぼる。
ちょっと考えてみよう。
「もし韓国の惨状が検査のしすぎが原因だとしたら、適切な数に検査を抑えていたら状況はマシだったのか?」
その仮定のもとで、事態がどういう経過をたどったかを考えてみよう。
まず、31人目の確定診断者は、礼拝に参加して1160人に広める。
(検査とは関係ないので当たり前)
その後、その1160人からどんどん感染が広まっていく。
適切に検査を行っていれば、感染者を隔離するなどして、だんだん収束に近づいていく。
さて、それに対して現状はどうか。
検査をやりすぎたのかもしれないが、結果としてちゃんと収束に近づいている。
韓国はこんな感じ https://t.co/W2cQncRVhj pic.twitter.com/9aU29t1Abf
— 岩田健太郎 Kentaro Iwata (@georgebest1969) 2020年3月11日
検査をやりすぎたことによって、余分な医療リソースの消費はあったかもしれないが、それによって爆発的に感染が広まっているとかいうことはない。
韓国の場合、31人目の確定診断者が礼拝に行った時点で、何をどうやってもその後のある程度の感染者の増加は運命づけられていた。
さて、イタリア。
イタリアは手がつけられないような大変なことになっているが、それも「検査のしすぎ」が原因ではない。
ちょっと時間を遡って、2/26時点での検査数・陽性率を見てみる。
(リンク先の下のほう)
Coronavirus Testing Criteria and Numbers by Country - Worldometer
この時点で、イタリアは9462件の検査を行い、陽性率は5.0%だ。
そもそも、「検査のしすぎ」という状況ではない。
地域によります。これはややざっくりな数字ですが、検査陽性率が5−10%の範囲に入っていれば、その地域ではそれなりに妥当な検査数を行っていると判断しています。
— 岩田健太郎 Kentaro Iwata (@georgebest1969) 2020年3月11日
じゃあ、イタリアはなぜ大変なのかというと、単純に「患者数が多くなりすぎたから」。
イタリアの状況は大変ですが「検査をしたから大変」だとは必ずしも考えていません。やはり患者数が多くなりすぎたのが最大の問題。検査をしすぎるのもよくないですが、患者の増加に気づかないままでも駄目。
— 岩田健太郎 Kentaro Iwata (@georgebest1969) 2020年3月11日
今はスペインがこの道をたどりつつある。
一応バカ向けに書いておくと、孫正義氏の思いつきのように「100万人にPCR検査を提供する」とか言うのは、それなりにうまく行っている現状を混乱させるだけの狂気の沙汰だ。
だからといって、逆方向の狂気のデマを広めてもいいということにもならない。
岩田健太郎氏という虎の威を借る形だが、一応釘を刺す意味で書く。
「みんなが不安だからという理由で検査をするのは間違い」だが、どこまで検査するかという意味では、「今の日本以上」が適切だというのが専門家の意見だということを忘れないでほしい。
「女のつらさ」と「イージーモード」——性的資源とコミットメントという観点から
男と女の釣り合い考──「女のつらさ」と「イージーモード」|琥珀色|note
この記事に対する言及です。
(無料のときに読みました)
お金を払ってまで読みたくないという人向けに要約すると「パッとしない女の知り合いがいて、そいつはイケメンに憧れてたんだけど、付き合ってもらうのは無理そうだったから性で誘ってやってもらって喜んでた。女はイージーモードだよな」という感じです。*1
まず、ヒトにおいては、多くの動物の場合と同じく、メスが希少資源だというところはいいでしょうか。
そういえば、「発情するブタを育てたら、ファンを許せるようになった」と言っていたアイドルの人もいましたね。
次に、道徳主義的誤謬と自然主義的誤謬について。
・自然主義的誤謬(Naturalistic fallacy) の例:戦争は人間の習性の一部だと科学的事実が示したのなら、人間はみな戦争に賛成すべきだ
— Ore Chang (EvoPsy) (@selfcomestomine) 2020年2月13日
・道徳主義的誤謬(Moralistic fallacy)の例:戦争は誤りであるので、それは人間の習性であるはずがない
性の話で言うと、自然主義的誤謬というのは「ヒトのオスにメスを追い求める習性があるなら、それを自由に認めるべきだ」で、道徳主義的誤謬は「人間の男女は同じであるべきだ、よって性欲の性差もあるはずがない」とでもなるでしょうか。
言うまでもなくどちらも間違いで、「ヒトのオスには(平均的には)メスよりも強い性欲があるが、他者の権利を尊重するためにそれを抑えなければならない」あたりが妥当なところでしょう。
(ちなみに、昔は「他者」=「他の男性」だったため、他の男の財産である女に手を出すことには厳罰があっても、夫や父親といったよりどころのない女に対してはそうとも限らなかった、だが現代では言うまでもなく「他者」には女も含まれる、といった変化はあります)
さて、オスが求めるのがメスの「性的資源」だとすると、メスが求めるのは「コミットメント」だという話があります。
生存能力の優れたオスが自分と自分の子供に対して安定して(非性)資源を供給してくれることですね。
このあたりは、次の本が面白かったのですが、残念ながら新品はないようです。
ここまでが前置きです。
ここから記事への言及。
現時点でのトップブコメはこれです。
男と女の釣り合い考──「女のつらさ」と「イージーモード」|琥珀色|noteb.hatena.ne.jp「釣り合いが取れなくてもセフレでいいならイケメンとやれるから女は得」って理屈が全然ピンとこないんだけど。文化の違いを感じる
2020/02/14 12:44
これは、メスが求めるのは「コミットメント」である、ということを考えに入れるとスムーズに理解できます。
メスにとっては、いくら相手の遺伝子が優れていても、コミットメントが得られないなら価値がないんですね。
(ここで、「優れたオスから遺伝子をもらいつつ劣った遺伝子を持つオスからコミットメントを提供してもらう」という戦略があるのですが、脇道になるので深入りしません)
わかりやすいように例を出しましょう。
優れた遺伝子を持つオスとしては(最盛期の)レオナルド・ディカプリオあたりがイメージしやすそうです。
さて、「ディカプリオと関係を持つ」ということは、女性にとってうれしい・名誉なことでしょうか。
これは、「状況による」。
コミットメントゼロの状況を考えてみましょう。
女性が、女友達に対して次のような話をしたとします。
「ディカプリオがお忍びで街を散歩してたから、ファンなんです! って声をかけて、いかにもやりたそうな雰囲気を出したんだけど、そうしたら汚い路地裏に引きずり込んでやってくれたんだ。避妊もせず、1分ぐらいで終わって、ズボンをはいてすぐ行っちゃったけど。」
この女性は女友達からうらやましがられるでしょうか?
まあ、普通はうらやましがられないですよね。
といった感じで、女性にとっては「ゼロコミットメントの性」は価値がないわけです。
(筆者は男性なので、女性からの異論があればお待ちしています)
性別を逆にして考えてみます。
優れた遺伝子を持つメスとしては、具体例を挙げると差し障りがありそうなので、一般的に○年に一度の美人と言われるような人をイメージするのがいいかもしれません。
さて、「そういう人と関係を持つ」ということは、男性にとってうれしい・名誉なことでしょうか。
これは、(女性にとって意外かどうかはわかりませんが)そうです。
男性が男友達に対して、上記の話の人物を入れ替えたような話をしたら、普通はうらやましがられるでしょう。
ただでとんでもなく貴重な資源を得られたという話になるので。
そういうわけで、「イケメンとやれる」というのは、普通の女性にとっては、全然いいことではないので、男性にそれをうらやましがられても困る、となるわけです。
(元記事で言及されている女性のように「いい相手とやれるだけでうれしい」という感性を持っていたら、女性のほうがイージーモードということになりますが、同性の共感はあまり得られないでしょう)
そういうわけで、男と女では「同じゲームをプレイしているように見えて、実際は違うゲームをプレイしている」ので、どちらがイージーモードというのは言いにくいのです。
サッカーのフィールドの選手が、キーパーに対して「ボールがよく回ってくるなんてうらやましい、イージーモードだね」と言うようなものじゃないでしょうか。
性別で他者をうらやんだりすることなく、お互いに尊重していきたいものですね。
*1:ひどい要約ですが、この記事の前提として必要最小限の要約として。