岩波文庫は ISBN のルールに従っていない
まず宣伝から。
最近、カフカ「変身」を翻訳して Kindle に出しました。
おかげさまで、ロイヤリティが缶ジュース一本分をちょうど越えたところです。
もう一人買ってくれたら自販機のペットボトルが買えるぐらいになります。
世の中ちょろいですね。
まあ、それはともかく。
Amazon に消された本を救出したいを読んで。
「変身」を訳す際に、著作権の切れた原田義人氏のバージョンを参考に訳し、訳し終わってからは誤訳がないかチェックするため、既訳をいくつか購入しました。
それで、手元には岩波文庫の
があります。
上記記事を読んで、裏の ISBN を見てみました。
まったく同じです。
で、「変身・断食芸人」のほうの奥付を見てみると、
1958年1月7日 第1刷発行 2004年9月16日 改版第1刷発行
となっています。
改版?
まあ、改版といえばそうなんでしょうが、これら二つは訳文がまったく違います。
第三章の冒頭をそれぞれ引用します。
まず、「変身・他一篇」。
一月以上もわずらったグレゴールの重傷は――だれひとり取りのけてくれようともしなかったおかげで、あの林檎は忘れがたみのように歴然と肉のなかにのめりこんだままだった――父親にさえも今更のように、今でこそグレゴールはこんなあわれなおぞましい姿にせよ、やはり家族の一員にはちがいないのだということを反省させたようにみえた。家族である以上は敵のような扱いをしてはならないのだし、逆に嫌悪の情もすべて胸にたたんで、耐えがたきに耐え、忍びがたきを忍ぶのが家族のつとめであり掟なのだ、と。
次に、「変身・断食芸人」。
ひと月以上もグレゴールを苦しめたひどい傷は――あの林檎は誰も取りのけてくれず、忘れがたみのように生身に居すわりつづけていた――、父親にさえ、グレゴールは今でこそこんな哀れでおぞましい姿をしているが、家族の一員にはちがいないこと、そしてそうである以上、彼を目の仇にしてはならず、嫌悪の情もすべて胸にたたんで、ただひたすら甘受するしかなく、それが家族の務めであり、掟というものであることを、思い出させたように見えた。
時代に合わせて表現を変えたというレベルではなく、完全に訳し直したのに近い形になっています。
ところで、日本図書コード管理センターのISBNと日本図書コードのルールというページには、次のような記載があります。
ISBNコード(書名番号)を変更しなければならない場合
・書籍出版物の内容の一部もしくは複数個所に重要な変更が加えられた改訂版に対しては、新しいISBNコードを付与します。
・書名(タイトル)が変更された場合も、新しいISBNコードを付与します。
・これらの場合、改訂又は書名変更したことについて、改訂版であることの記載又は変更した書名を書籍出版物のすべての書名表記箇所(表紙、カバー、扉、奥付等)に明記する必要があります。
で、この「変身・他一篇」と「変身・断食芸人」なのですが、どうみても複数箇所に重要な変更が加えられていて、それに書名(タイトル)が変更されていますよね。
どうして同じ ISBN のままなのか。
何か岩波書店にこのルールを無視していい特権があるのか、それともこのルール自体が有名無実化しているのか。
もちろん、Amazon でもひとつにまとめられています。
レビューも混ざっていて、区別する方法もありません。
まあ、ISBN が同じなので仕方がないと思いますが。
調べてみると、岩波文庫旧版について少々など、この問題について言及されているものがちょこちょこあります。
業界内ではよく知られていることなのでしょうか。
どうしてこういう状況が許されているのか、正直よくわかりません。